下谷金杉下町(読み)したやかなすぎしもちよう

日本歴史地名大系 「下谷金杉下町」の解説

下谷金杉下町
したやかなすぎしもちよう

[現在地名]台東区竜泉(りゆうせん)二丁目・三ノ輪(みのわ)一丁目・根岸(ねぎし)三丁目・同五丁目・下谷(したや)三丁目など

下谷金杉上町の北東に続く。嘉永六年(一八五三)の尾張屋版切絵図によると千住への道(現金杉通)の両側に二ヵ所ずつあって、下谷三之輪(したやみのわ)町に続いている。東は竜泉寺(りゆうせんじ)村、西は金杉村・下谷薬王院(したややくおういん)門前。町の規模は東西四七間余・南北四町ほど。下谷金杉上町と同様、延享二年(一七四五)に町奉行支配になったが、年貢は東叡山目代田村役所に納め、訴訟等は同役所添状を持って町奉行所へ出した。反別は二町八反余。文政九年(一八二六)の家数は居付地主三二・地借五・店借二三〇。間口二間・奥行五間の自身番屋がある。王子(おうじ)用水の分水が流れ、幅四間余・長さ五尺の土橋が架かっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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