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下里知足 しもさと ちそく

美術人名辞典の解説

下里知足

江戸前期の俳人。家は尾張鳴海海宿の酒倉。幼名は金五郎、のち勘兵衛、字は吉親、別号に蝸廬亭。はじめ西山宗因門、のち松尾芭蕉に師事し、鳴海の六俳仙の一人として知られた。また黄檗木庵・月舟和尚に参禅した。句集『千鳥掛』がある。宝永元年(1704)歿、65才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

下里知足 しもさと-ちそく

1640-1704 江戸時代前期の俳人。
寛永17年生まれ。下郷蝶羽(しもさと-ちょうう),下郷亀世(きせい)の父。尾張(おわり)(愛知県)鳴海(なるみ)で醸造業(屋号は千代倉)をいとなむ。はじめ談林風にしたしみ,井原西鶴とも交遊。のち松尾芭蕉に入門し,鳴海の蕉門の中心として活躍。宝永元年4月13日死去。65歳。名は吉親。通称は勘兵衛,金右衛門。別号に蝸廬亭。著作に「多日万久羅(たびまくら)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

下里知足

没年:宝永1.4.13(1704.5.16)
生年:寛永17(1640)
江戸前期の俳人。名は吉親。通称は勘兵衛,金右衛門。号は知足斎,蝸廬亭。尾張鳴海の人。家業は農・商兼業。若くから俳諧を始め,井原西鶴,松尾芭蕉らと交流した。西鶴との関係においては,知足宛西鶴書簡3通が知られている。天和から貞享にかけては芭蕉との交流しげく,芭蕉の指導は懇切なものであった。しかし,知足の俳諧には余技的側面があり,芭蕉の新風推進に十分に対応できなかった。関係の俳書に,息子蝶羽編の『千鳥掛』(1712)がある。<参考文献>森川昭「冬の日前後の芭蕉と知足」(『連歌俳諧研究』55号)

(楠元六男)

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