日本歴史地名大系 「下長崎村」の解説 下長崎村しもながさきむら 熊本県:宇土郡不知火町下長崎村[現在地名]不知火町長崎(ながさき)東は亀尾(かめお)村、西は永尾(えいのお)村、南は八代海に面し、貝久保(かいくぼ)・平山(ひらやま)・国越(くにごし)などの字地がみえる(郡村誌)。近世は郡浦手永に属した。「国誌」に「平山村中村貝久保村迫村開村鴨籠村等ノ小村アリ」とあり、天保八年(一八三七)の郡浦手永略手鑑によると宇土知行所の村で竈数九六・人数四八三・役男一三七、本方高六五八石八斗余、田二八町三反余・畑一〇町九反余、新地田畑八町余、永荒田三反余、諸開一町余と茶床がある。 下長崎村しもながさきむら 山形県:村山市下長崎村[現在地名]村山市長島(ながしま)最上川は東の大淀(おおよど)村から大きく西に屈曲し、一八〇度方向を変えて東流して村の南で三(み)ヶ瀬(のせ)、北で隼(はやぶさ)の難所をなすが、その屈曲部の内部に位置する。最上川の引船人足集落であった。最上氏領から元和八年(一六二二)山形藩領、寛永二〇年(一六四三)以降幕府領。同一三年の保科氏領知目録に「楯岡之内長崎村」とあり、高三八石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by