下青鳥村(読み)しもおおどりむら

日本歴史地名大系 「下青鳥村」の解説

下青鳥村
しもおおどりむら

[現在地名]東松山市下青鳥

野本のもと村の南、都幾とき川左岸の低地に位置し、西は石橋いしばし村。古くは石橋村の小名宿青鳥しゆくおおどり内青鳥うちおおどり一村をなし、青鳥と称していたといわれ、宿青鳥には中世の青鳥城跡がある。また地内には仁治元年(一二四〇)草創と伝える天台宗浄光じようこう寺がある。「源平盛衰記」巻二八によると寿永二年(一一八三)木曾義仲を追っていったん信州に入った源頼朝は臼井うすい(碓氷)峠から鎌倉に引返す途次「武蔵国月田つきた川のはた青鳥野あをとりのに陣を取」ったという。「風土記稿」などは月田川は都幾川とみて、青鳥野を当地一帯に比定するものの、この記事は史実ではないであろう。応永三年(一三九六)一〇月一八日に頓写された栃木県日光市輪王りんのう寺蔵の大般若経巻第二二三奥書に「執筆武州比企郡青鳥天神別当秀賢」、同巻第二二四奥書には「比企郡於下青鳥郷悲願山浄光寺」などとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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