日本歴史地名大系 「下飯生村」の解説 下飯生村しもいけむら 鳥取県:米子市下飯生村[現在地名]米子市美吉(みよし)上飯生村の北にあり、東は長砂(ながすな)村。上飯生村同様湿地帯を干拓して成立した村で、正保国絵図には下新田(しもしんでん)村とある。享保元年(一七一六)以降下飯生村と改称、天保五年(一八三四)幕府へ村名改称を届出た(藩史)。「伯耆志」所載の寛文七年(一六六七)の山王社領安堵状には「目久ノ下新田村」とみえている。字中(なか)ノ沢(さわ)(古堤)は平野部の中央にあり、一帯はかつての大池の跡と思われ、池(いけ)ノ内(うち)の俗称の由来をうかがわせる。拝領高六二石余、本免は四ツ。幕末の六郡郷村生高竈付では、上飯生村と合せて生高一〇五石余、竈数二〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by