下高浜村(読み)しもたかはまむら

日本歴史地名大系 「下高浜村」の解説

下高浜村
しもたかはまむら

[現在地名]榛名町高浜たかはま

群馬郡に属し、北は上高浜村、東は本郷ほんごう村、西は三子沢みつござわ村・神戸ごうど村、南はからす川を境に碓氷うすい上大島かみおおしま村。西縁を南北に白岩しらいわ長谷ちようこく寺巡礼道、南縁を東西に大戸おおど(信州道)が貫通する。古くは上高浜村と一村であったが、のち分村。元禄郷帳に村名がみえ高二五三石余、うち旗本酒井領二三二石余、長信ちようしん寺領二一石余。江戸後期の御改革組合村高帳では二三二石余で安房勝山藩領、家数三四。榛名山南麓内野うちの秣場札元一三ヵ村の一で(→榛名山、中山道板鼻いたはな宿(現安中市)助郷は本郷村と同様に勤めた。宗門は長信寺・高源こうげん寺の寺請。明治二年(一八六九)上高浜村と合併し高浜村となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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