下鶴井庄(読み)しもつるいのしよう

日本歴史地名大系 「下鶴井庄」の解説

下鶴井庄
しもつるいのしよう

円山まるやま川右岸の下鶴井一帯に比定される六勝りくしよう寺の一つ法勝ほつしよう(跡地は現京都市左京区)領庄園。「但馬考」は古代の城崎きのさき田結たゆい(和名抄)のうち下鶴井・赤石あかいし畑上はたがみ三原みはらむすぶ戸島としま楽々浦ささうら飯谷はんだに(現城崎町)の八村を「下鶴井庄と云」としている。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には「下鶴井庄 二十六丁一反百十分」とみえ、「法勝寺領」「領家真乗院僧正、預所教王院三位法印」「公文太田左太郎政頼、田所下鶴井三郎秋正 御家人」の注記があり、庄田の内訳は、河成八町八反二三五歩、仏神田九反、四庄官雑免三町八反一六二歩、定田一二町五反一三歩である。法勝寺は白河上皇の御願寺。領家真乗院・預所教王院はともに京都仁和寺の院家で、弘安八年の真乗院僧正は右大臣藤原実頼の子の助、教王院三位法印は房弁。預所・下司職については、建武四年(一三三七)七月二六日の端裏書をもつ相伝系図(仁和寺蔵薄草紙伝受記紙背文書)があり、本領主は西園寺公経女の法住寺禅尼(また三条禅尼と号する)、真乗院覚教、同房円、同助と相伝し、建治四年(一二七八)一月八日助から教王院房弁へ、正応四年(一二九一)三月日房弁から皆明寺親忠へ、延慶四年(一三一一)四月日親忠から真光院禅助へ、嘉暦二年(一三二七)八月一三日禅助から皆明寺道淵へ譲与されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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