延慶(読み)エンキョウ

デジタル大辞泉 「延慶」の意味・読み・例文・類語

えんきょう〔エンキヤウ〕【延慶】

《「えんぎょう」とも》鎌倉後期、花園天皇の時の年号。1308年10月9日~1311年4月28日。延享の年号ができてから「えんけい」と読んで区別するようになった。

えんけい【延慶】

えんきょう(延慶)

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精選版 日本国語大辞典 「延慶」の意味・読み・例文・類語

えんきょうエンキャウ【延慶】

  1. ( 「えんぎょう」とも ) 鎌倉時代花園天皇の代の年号。即位により徳治三年(一三〇八)一〇月九日改元。延慶四年(一三一一)四月二八日に至り次の応長に代わる。執権北条師時(もろとき)の時代。出典は「後漢書列伝」の「以功名慶于後」。のち延享の年号ができてから区別するため「慶」を「けい」と読むようになった。

えんけい【延慶】

  1. えんきょう(延慶)

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改訂新版 世界大百科事典 「延慶」の意味・わかりやすい解説

延慶 (えんけい)

奈良後期の僧侶生没年不詳。藤原氏《家伝》下巻武智麻呂伝〉の著者。《続日本紀》天平宝字2年(758)8月2日条に〈外従五位下僧延慶,形俗に異なるをもって,その爵位を辞す。詔してこれを許す。その位禄,位田はこれを収めず〉とあり,外位を与えられたところよりみると,地方豪族出身らしい。天平宝字年間(757-765)の権力者藤原仲麻呂の父,武智麻呂の伝記を著したのをみると,藤原南家と親しい,家僧のような地位にあったものか。753年(天平勝宝5)唐僧鑑真が来朝し,翌年入京して東大寺にもうで,良弁と会話した際,延慶が通訳をつとめた。鑑真に大和上位を,思託らその従僧に和上位を贈った際,延慶にも和上位が贈られた(《東大寺要録》大和尚伝)。中国語のできたのは,唐へ留学した経験があったのかもしれない。伴信友は《松の藤靡(ふじなみ)》の中で,〈知逢が便蒙に延慶は大安寺僧也と注へり〉という。大和の大安寺に住したかもしれない。
筆者

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日本の元号がわかる事典 「延慶」の解説

えんきょう【延慶】

日本の元号(年号)。鎌倉時代の1308年から1311年まで、花園(はなぞの)天皇の代の元号。前元号は徳治(とくじ)。次元号は応長(おうちょう)。1308年(徳治3)10月9日改元。花園天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『後漢書(ごかんじょ)』を出典とする命名。延慶年間の鎌倉幕府の将軍は、久明(ひさあきら)親王(8代)と、鎌倉幕府最後の将軍である守邦(もりくに)親王(9代)。執権は北条師時(もろとき)(10代)。1308年(延慶1)、後二条(ごにじょう)天皇の崩御にともなって、花園天皇が12歳で即位した。後二条が大覚寺統(だいかくじとう)であるため、持明院統(じみょういんとう)の花園が皇位を継承することになったもの。◇「えんぎょう」、「えんけい」とも読む。

えんぎょう【延慶】

⇒延慶(えんきょう)

えんけい【延慶】

⇒延慶(えんきょう)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「延慶」の解説

延慶 えんけい

?-? 奈良時代の僧。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5年(753)薩摩(さつま)(鹿児島県)についた鑑真(がんじん)を大宰府に案内し,奈良では通訳をつとめる。藤原仲麻呂に信頼され,仲麻呂の父武智麻呂(むちまろ)について,「藤氏家伝」下巻の「武智麻呂伝」をかいた。
【格言など】小さき過ちを赦(ゆる)して化(か)を演(の)べ,寛(ゆるや)かな政(まつりごと)を行いて衆を容(い)る(「武智麻呂伝」)

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朝日日本歴史人物事典 「延慶」の解説

延慶

生年:生没年不詳
奈良時代の僧。入唐僧と思われ,天平勝宝5(753)年に鑑真の一行と共に帰国。鑑真らを薩摩(鹿児島県)から大宰府に導いた。鑑真が東大寺大仏を拝した際も訳語(通訳)として活躍。天平宝字2(758)年,僧であるということで外従五位下の位を辞すことを請うて許されたが,位禄・位田は勅により元通り給された。天平宝字4年ごろにできた『藤氏家伝』下巻の「武智麻呂伝」の筆者でもあった。<参考文献>岸俊男『藤原仲麻呂』

(若井敏明)

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世界大百科事典(旧版)内の延慶の言及

【家伝】より

…〈貞慧伝〉は短文だが,彼の唐での修学状況などがわかり好史料で,巻末の道賢作の誄(しのびごと)は,当時の誄の形を知る上に貴重である。不比等の長子武智麻呂の伝である下巻の撰者は延慶。下巻も美化した点が多いが,奈良前期の政治や文化を知る上に参考になる点が多い。…

【藤原刷雄】より

…のち772年(宝亀3)には本位・本姓に復され,但馬介,但馬守,刑部大判事,治部大輔,上総守,大学頭,右大舎人頭,陰陽頭を歴任した。なお《唐大和上東征伝》には鑑真の死を悼む刷雄の詩が撰者の淡海三船らの詩とともにあり,また《経国集》によって刷雄,三船に早くから親交のあったことが知られるので,刷雄は754年の鑑真一行の来日に同行して訳語として活躍し,さらに武智麻呂の伝記も書いた僧延慶と同一人かとする説がある。薩雄(ひろお),あるいは徳一と同一人とする説もあるが,これは謬説であろう。…

※「延慶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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