奈良後期の僧侶。生没年不詳。藤原氏《家伝》下巻〈武智麻呂伝〉の著者。《続日本紀》天平宝字2年(758)8月2日条に〈外従五位下僧延慶,形俗に異なるをもって,その爵位を辞す。詔してこれを許す。その位禄,位田はこれを収めず〉とあり,外位を与えられたところよりみると,地方豪族出身らしい。天平宝字年間(757-765)の権力者藤原仲麻呂の父,武智麻呂の伝記を著したのをみると,藤原南家と親しい,家僧のような地位にあったものか。753年(天平勝宝5)唐僧鑑真が来朝し,翌年入京して東大寺にもうで,良弁と会話した際,延慶が通訳をつとめた。鑑真に大和上位を,思託らその従僧に和上位を贈った際,延慶にも和上位が贈られた(《東大寺要録》大和尚伝)。中国語のできたのは,唐へ留学した経験があったのかもしれない。伴信友は《松の藤靡(ふじなみ)》の中で,〈知逢が便蒙に延慶は大安寺僧也と注へり〉という。大和の大安寺に住したかもしれない。
執筆者:横田 健一
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(若井敏明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…〈貞慧伝〉は短文だが,彼の唐での修学状況などがわかり好史料で,巻末の道賢作の誄(しのびごと)は,当時の誄の形を知る上に貴重である。不比等の長子武智麻呂の伝である下巻の撰者は延慶。下巻も美化した点が多いが,奈良前期の政治や文化を知る上に参考になる点が多い。…
…のち772年(宝亀3)には本位・本姓に復され,但馬介,但馬守,刑部大判事,治部大輔,上総守,大学頭,右大舎人頭,陰陽頭を歴任した。なお《唐大和上東征伝》には鑑真の死を悼む刷雄の詩が撰者の淡海三船らの詩とともにあり,また《経国集》によって刷雄,三船に早くから親交のあったことが知られるので,刷雄は754年の鑑真一行の来日に同行して訳語として活躍し,さらに武智麻呂の伝記も書いた僧延慶と同一人かとする説がある。薩雄(ひろお),あるいは徳一と同一人とする説もあるが,これは謬説であろう。…
※「延慶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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