与地村
よちむら
御射山の南麓にあり、広い傾斜地が東南にひらけている。南側は経ヶ岳から流れてくる北沢川によって深い谷となっているので水の便が悪く、標高も九〇〇メートルを超えているため、耕地は畑地が主である。天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳に村位は下、村高は「六拾八石六斗二升 与地」とある。
経ヶ岳と駒ヶ岳との中間にある鞍部は鍋掛峠(一五二二メートル)とよばれ、木曾と伊那との交通路をなしていたが、元禄九年(一六九六)に木曾神谷(現木曾郡日義村)の権兵衛により開削され、以来権兵衛峠とよばれるようになり、与地は木曾への基点となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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