日本歴史地名大系 「伊那市」の解説 伊那市いなし 面積:二〇八・七五平方キロ伊那盆地北半の中心部にあたり、中央を北から南に天竜川が流れ、東からは三峰(みぶ)川がこれに合流している。地域はこの二川の作る広い氾濫原と段丘上東西の山麓からゆるやかな傾斜をもつ広い洪積層台地と、東の伊那山地及び西の木曾山脈とに大別できる。段丘上は伏流で、山麓には古くから溜池があり、用水路開発の歴史も古く、各地に先人苦心の跡が残る。市名のもととなった地名は「伊那郡」の「伊那」よりむしろ「伊那部(いなべ)」の「伊那」であろう。延文元年(一三五六)成立の「諏方大明神画詞」の異本(神長官本)によれば伊那廻りの湛(たたえ)の神事巡行の次第に、「次真木、次伊那へ、御薗」とある。伊那は伊奈とも書き、天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳には「西伊奈部」とある。この西伊奈部に対し天竜川の対岸は東伊奈部という。〔原始〕遺跡の分布は山麓と段丘の突端部に多く、天竜川西部台地の北部は南箕輪(みなみみのわ)村の神子柴(みこしば)遺跡に接し、旧石器時代末期の遺物も出土している。小沢(おざわ)川段丘北部一帯の月見松(つきみまつ)遺跡や小黒(おぐろ)川段丘北部の伊勢並(いせなみ)遺跡は、縄文時代を主として平安時代に至る各期の遺物を出土し、更にその南の西春近(にしはるちか)地区の山麓にも縄文中期を中心とした遺跡が多く、南は宮田(みやだ)村の中越(なかごし)遺跡に接している。 伊那市いなし 2006年3月31日:伊那市と上伊那郡高遠町・長谷村が合併⇒【高遠町】長野県:上伊那郡⇒【長谷村】長野県:上伊那郡⇒【伊那市】長野県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊那市」の意味・わかりやすい解説 伊那〔市〕いな 長野県南東部,伊那山地の北部にある市。西部の天竜川沿いに伊那盆地が広がる。東部に赤石山脈の山々が連なり,東で山梨県に,南東で静岡県に接する。 1954年伊那町と富県村,美篶村,手良村,東春近村,西箕輪村の5村が合体して市制。 1965年西春近村を編入。 2006年高遠町,長谷村と合体。中心市街地は天竜川右岸の低い段丘上に位置し,明治以前は三州街道 (国道 153号線) が通り,諏訪盆地への杖突街道,木曾谷への権兵衛街道が連結する交通の要地として発達。三峰川と藤沢川の合流点に位置する高遠は,江戸時代には内藤氏3万 3000石の城下町。 1912年伊那電鉄の開通後,伊那盆地北半の中心都市となった。第2次世界大戦前は養蚕と製糸業が盛んであった。米作や果樹栽培,酪農が行なわれ,木材,電気通信機,精密機械などの工場が立地している。「ハチの子」の缶詰を特産。駒ヶ岳 (木曾駒ヶ岳) ,駒ヶ岳 (甲斐駒ヶ岳) ,仙丈ヶ岳などの登山拠点。南沢温泉,経ヶ岳植物園などがある。北部の杖突峠はハイキングの好適地。遠照寺釈迦堂,熱田神社本殿は国指定重要文化財。高遠城跡 (国指定史跡) は公園として整備され,サクラの名所で知られる。市域の一部は南アルプス国立公園,中央アルプス県立自然公園,三峰川水系県立自然公園に属する。西部の天竜川沿いを JR飯田線,中央自動車道,国道 153号線が縦断するほか,国道 152号線,361号線が通じる。面積 667.93km2。人口 6万6125(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by