日本歴史地名大系 「権兵衛街道」の解説 権兵衛街道ごんべえかいどう 長野県:木曾郡日義村権兵衛街道中山道を宮越(みやのこし)地籍の神谷(かみや)橋で分岐して、神谷集落を経て、姥神(うばがみ)峠(一二七七メートル)を越えた羽渕(はぶち)(現楢川村川入)で奈良井(ならい)からの川入(かわいり)道と合し、トメの橋で奈良井川を渡り、五貫目(ごかんめ)・番所(ばんしよ)・(ぬるで)・萱(かや)ヶ平(たいら)から権兵衛峠(一五二二メートル)の頂上に出て、伊那側を七曲(ななまがり)から北沢(きたざわ)に沿って下り、伊那の坂下(さかした)(現伊那市)へ通ずる九里六丁の道程で、古くから開けた道である。権兵衛峠は古くは鍋懸(なべかけ)峠といい、宝暦七年(一七五七)の「吉蘇志略」に「鍋懸嶺。伊奈郡界に在り、絶頂より東望すれば則ち伊那郡の諸村歴々として見るべし、高遠城及天竜川、皆な眼下に在り壮観と謂ふ可きなり。伊奈に往来する者皆此路を過ぐ、然し険難殊に甚だ、最も要害の地なり」とあるように、険難で細い道があったが、馬が通るのには不便な道であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by