両国広小路(読み)りようごくひろこうじ

日本歴史地名大系 「両国広小路」の解説

両国広小路
りようごくひろこうじ

[現在地名]中央区東日本橋二丁目

両国橋西詰に設けられた火除地(墨田区の→両国。明暦大火後吉川よしかわ町と南本所元みなみほんじよもと(現墨田区)の間に両国橋(寛文元年完成)が架けられたとき、橋西側の一帯が火除地に指定され、それがさらに広げられて広小路となった(沿革図書)。北は吉川町、南は米沢よねざわ町一丁目。見世物小屋・芝居小屋・食物屋が並び、江戸有数の歓楽地として賑わった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の両国広小路の言及

【広小路】より

…火除地としての機能から,広小路には恒久的な建造物は建てられなかったが,床みせと呼ばれた移動可能な店舗施設が置かれ,また大道芸や,矢来(やらい)と葭簀(よしず)で囲んだ仮設の小屋で芝居や講釈など各種見世物の興行もよく行われた。人々の集まりやすい両国橋西詰にあった両国広小路は,花火の行われる夏の納涼では特ににぎわい,《江戸名所図会》(19世紀初め)などには床みせとともに芝居,軽業,土弓の小屋が建ち並ぶようすが描かれている。江戸橋南詰の江戸橋広小路には小間物商いが大部分である100軒余りの床みせのほかに,楊弓場,水茶屋などがあり,冬から春にはミカン問屋,年末には松飾商人も商売を許されていた。…

※「両国広小路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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