日本歴史地名大系 「中ノ城村」の解説 中ノ城村なかのじようむら 大阪府:茨木市中ノ城村[現在地名]茨木市中総持寺(なかそうじじ)町・総持寺駅前(そうじじえきまえ)町・総持寺(そうじじ)一―二丁目・庄(しよう)二丁目・総持寺台(そうじじだい)・橋の内(はしのうち)二丁目など総持寺村の南東にあり、東は島上(しまかみ)郡富田(とんだ)村(現高槻市)。地形は平坦で村の南を高槻(たかつき)街道が通る。元禄郷帳・天保郷帳には「中ノ城村」とあるが「中城村」とも書き、近代は「なかんじょう」といった。文和元年(一三五二)二月一八日の総持寺領散在田畠目録写(常称寺文書)に「中城前 二条五里廿坪」の一反などが記され、村内に総持寺の所領が点在していた。「摂津志」に「中(なか)城属邑一」とある属邑は北方の「北城」のことで、藤原山蔭が総持寺を建立した時、工事に携わった忍頂寺(にんちようじ)村字コモ池屋敷の人々が住みついたと伝える(大阪府全志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by