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藤原山蔭 ふじわらの やまかげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原山蔭 ふじわらの-やまかげ

824-888 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天長元年生まれ。北家藤原高房の次男。母は藤原真夏の娘。元慶(がんぎょう)3年(879)参議。仁和(にんな)2年中納言,従三位。3年民部卿をかねた。京都吉田神社,摂津総持寺を創建。たすけた亀に愛児(僧の如無(にょむ))がすくわれた説話,魚鳥料理の包丁術などで有名。仁和4年2月4日死去。65歳。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのやまかげ【藤原山蔭】

824‐888(天長1‐仁和4)
平安初期の官人。藤原高房の子で母は藤原真夏の娘。右衛門少尉,春宮大進などを経て,858年(天安2)に清和天皇即位にともなう蔵人所の人事で蔵人となり,従五位下となる。のち右近衛少将,美濃守などを経て875年(貞観17)蔵人頭,さらに右大弁を経て879年(元慶3)参議となり,886年(仁和2)には従三位中納言,翌年には民部卿となった。この間,平安京北東の郊外の吉田に祠を建てて春日明神をまつったことは有名である。

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世界大百科事典内の藤原山蔭の言及

【日本料理】より

…小笠原流の伝書である《食物服用之巻》には,白鳥のような珍しいものを供された場合,はしをつける前に白鳥をほめるのが礼儀で,食べてからほめるのは味をほめるので,ほんとうにもてなしをほめたものではない,といったことが記されている。どういういわれによるものか,藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)(824‐888)を包丁道の祖にまつり上げたすえ,山蔭中納言藤原政朝などという正体不明の呼び方をつくり出したのも,こうした流れの中においてであった。懸命の努力というべきであるが,宮仕えの料理人としてはやはり絶えずおのれの手がけた料理によって主君を満足させる必要がある。…

【料理人】より

…庖丁人はやがて職業的料理人をいうようになるが,その料理人の心得として《今川大双紙》は魚鳥の味のよいところを主人や上座の人に勧めるべきだとか,鳥の焼物でもも肉と胸肉を同時に供する場合は,美味なもも肉を前に盛りつけるべきで,それが〈秘事〉だなどといっている。こうした状態の中で,礼法などとともに料理の流派が形成されてくると,宮廷方の四条家がその大宗ともいうべき位置を占め,どういう伝承によったものか,藤原山蔭(やまかげ)(824‐888)が日本料理の祖とされ,山蔭中納言四条政朝という奇妙な呼び方をされるようになり,前記の園別当入道をもこれと並記する書が現れるようになった。 日本の料理人が,料理人本来のしごとをなしうるようになったのは,江戸後期に町人層が十分に力を蓄積してからと思われる。…

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