日本歴史地名大系 「中富庄・上中富庄」の解説 中富庄・上中富庄なかとびのしよう・かみなかとびのしよう 奈良県:宇陀郡榛原町篠野村中富庄・上中富庄三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)の宇多郡庄々郷々注文の、大乗院・一乗院とは別の枠に「中富中院談義方」とあるので、興福寺大乗院末寺の内山永久(うちやまえいきゆう)寺(現天理市、廃寺)内の中院(なかのいん)の談義方の料所であったと考えられる。もっとも、これは預所であって、同庄は大乗院領であったものであろう。宇陀郡田地帳案には「中富(なかとひ)庄 定田八町二反 分米五十石 夏三石 大豆三石」とみえる。宇太水分神社古図では、「下水分宮井足」(現榛原町大字下井足の宇太水分神社)の西に「中富」とみえるので、中富庄の所在は下井足(しもいだに)から西の大字篠楽(ささがく)に至る地域に比定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報