日本歴史地名大系 「中尾城」の解説 中尾城なかおじよう 京都市:左京区如意ヶ嶽中尾城城の所在地は慈照(じしよう)寺背後の中尾山(万松院殿穴太記)とも、「如意嶽絶頂有城跡」(山城名勝志)とも、また大文字山と如意ヶ嶽を結ぶ線上の中間ともいうが、明らかでない。如意城・如意ヶ嶽城ともいう。足利将軍義輝と父の義晴は、瓜生山(うりゆうざん)城を細川晴元に攻められて和睦した。三好長慶軍の進攻により窮地に陥った晴元は、天文一八年(一五四九)六月、近江の六角義賢とはかり慈照寺の裏山にこの城を築いて義晴・義輝父子を招こうとしたが、父子は坂本に移った。「万松院殿穴太記」によれば、同年一〇月二八日には築城が本格的に開始され、翌一九年二月に将軍父子と晴元によって城は完成した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報