20世紀日本人名事典 「中尾熊喜」の解説 中尾 熊喜ナカオ クマキ 大正・昭和期のブラジル移民の指導者 コチア産業組合専務理事。 ブラジル移民指導者。 生年明治32(1899)年11月24日 没年昭和50(1975)年6月28日 出生地熊本県 経歴小学校卒業後14歳で単身ブラジルへ移住。農業に従事したが、言葉が通じないのを痛感、22歳の時ポルトガル語の文法書「実地応用葡語の手紙の書方」を編集、出版した。昭和元年コチア日本人会会長となり、下元健吉と協力、コチア産業組合を創立、初代専務理事、次いで肥料会社を設立した。理想主義を貫き、私財を投じてサンパウロ人文科学研究所を創立、またブラジル日本文化協会会長を務め、奨学制度、留学制度に尽力。晩年私財で初期移民73人を母国へ訪問させた。ユートピア小説も書き、伝記に「非相続者の精神史」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中尾熊喜」の解説 中尾熊喜 なかお-くまき 1899-1975 大正-昭和時代の移民。明治32年11月24日生まれ。小学校を卒業後ブラジルに移住する。農業に従事しながら日本人移民の生活向上につくす。コチア日本人会会長,コチア産業組合専務理事,ブラジル日本文化協会会長。私財を投じてサンパウロ人文科学研究所を設立した。昭和50年6月28日死去。75歳。熊本県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by