20世紀日本人名事典 「中島ヤス」の解説 中島 ヤスナカシマ ヤス 大正・昭和期の教育者 佐賀旭高等女学校校長。 生年明治9年8月26日(1876年) 没年昭和26(1951)年3月18日 出生地佐賀県佐賀郡鍋島村 学歴〔年〕佐賀実習女学校卒 主な受賞名〔年〕藍綬褒章〔昭和18年〕 経歴教員として佐賀県下の小学校に勤務。その傍らで近所の少女に裁縫や礼法を教えるが、評判を聞いて教えを乞う者が多くなり、大正12年佐賀市に佐賀裁縫女学校を創立。以来、女子教育に全精力を注ぎ、新校舎の建設や商業科の設置などで着実に学校を発展させた。昭和18年教育功労者として藍綬褒章を受章。21年学校を財団法人に改組するとともに佐賀旭高等女学校に改称し、22年には復員してきた息子の貞善に校長職を譲って自身は名誉校長に退いた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中島ヤス」の解説 中島ヤス なかしま-ヤス 1876-1951 大正-昭和時代の教育者。明治9年8月26日生まれ。小学校につとめながら裁縫や作法などをおしえる私塾をひらく。大正12年佐賀裁縫女学校(のち佐賀旭高女)を創設して,女子教育につくした。昭和26年3月18日死去。74歳。佐賀県出身。佐賀実習女学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例