主として江戸時代の学問,武芸,その他いろいろの芸道に関する民間教育機関をいい,教育の対象となったのは成年である。私塾はいずれの場合も教師の自宅が教場となり,寺子(小)屋と同様に教師と経営者とが同一人物で,これを塾主と呼ぶ。この点では教育者と経営者とが分離している郷学や藩校(藩学)のような学校とは異なっている。私塾では塾主の学派などにもとづき,特定の学派を標榜(ひようぼう)するものが多く,かつ塾主の学識と徳とを中心として共同学習する形態のものが多かった。また寺子屋が〈読み,書き,算盤〉というような社会生活・日常生活に即刻必要な知識や技能を授ける教育を主としたのに対し,むしろ学問や武芸,芸事など当時の中等教育を授ける教育機関であり,寺子屋よりは高い程度の教育を施したといえる。また私塾のうちには寺子屋と異なり,幕府直轄校や藩校の設立以前や藩校のない藩などでは,幕臣や藩士教育に携わる塾も存在し,さらに,それらが設立されても私塾と併存している場合がかなりある。こうした私塾の塾主には幕府や藩の儒官がなったものが多く,幕府や藩の費用によって建てられたり,施設や修繕などの諸費用の支出を受ける場合もあり,幕府や藩から公認されていたのである。これをとくに一般の私塾から区別して家塾と呼ぶ日本教育史の研究者もいる。これに対して一般の私塾は市井の儒学者や洋学者や芸道に心得のあるものが任意に開設するものである。近世には中江藤樹の藤樹書院,伊藤仁斎の堀川塾,荻生徂徠の蘐園塾(けんえんじゆく),細井平洲の嚶鳴館(おうめいかん),菅茶山の廉塾,広瀬淡窓の咸宜園などの漢学塾や,シーボルトの鳴滝塾や緒方洪庵の適塾などの洋学塾が著名であった。幕末の変動期には民衆のなかにも向学熱が高まり,小私塾が族生し,人材も輩出した。
執筆者:津田 秀夫
明治政府は1872年(明治5)に〈学制〉を公布し,近代学校制度の確立をめざした。それに伴い寺子屋や私塾は衰えていったが,一方では新しい学問への要求にこたえるための英学塾,仏学塾なども開設されていった。そのなかには,慶応義塾や津田塾のようにその後大学に発展する塾もあった。また,私塾の流れには幕末の松下村塾に代表されるような政治運動の色彩の濃いものがあるが,その一つとして1870-80年代の自由民権運動のなかの塾運動がある。たとえば高知の立志社は立志学舎を設立し,青年を政治主体として育てる自主的学習運動を行っている。この塾運動は国民の手による中等教育確立の運動であるが,自由民権運動の弾圧により消滅した。しかし,その後も各地で多くの私塾や夜学会が開かれた。大正デモクラシーのもとでつくられた,民衆の自己教育と地域改革をめざす上田自由大学(自由大学),また第2次大戦直後の青年学級やサークル運動なども,私塾の伝統を継承するものとみることができる。また昭和前期には橘孝三郎の愛郷塾など,国粋主義的運動による私塾もあった。
現代の私塾として,小・中学生らに対する学習塾,進学塾,ピアノ,そろばんなどのおけいこ塾があげられる。文部省の初の塾調査(〈児童生徒の学校外学習活動に関する実態調査速報〉,1977)では,小・中学生の20%が学習塾に,51%が稽古事(おけいこ塾)に通っていた。その結果,学校の比重の低下,子どもの自由時間の減少と学習の過多,学校教師のアルバイトなどの問題が生じている。これらは受験教育,進学競争のゆがみが集約されたもので,歴史的な私塾の流れのなかでは,特別な形態といえる。しかし,教育の管理化が進行する現代においては,公教育で満たされないものを埋め,新しい教育を生み出していくという私塾本来の考え方が見直されつつある。
執筆者:新村 洋史
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江戸時代の学者・文人・武芸者などが自宅を教場として開設した,学問・技芸の民間教育施設。手習塾(寺子屋)よりも高い程度の内容を教えた。学問を教える私塾のことを学問塾と呼ぶ場合もある。18世紀後半以後に普及した藩校などの組織的教育機関を除けば,江戸時代の学問教授は通常,私塾で行われた。中江藤樹の藤樹書院,伊藤仁斎の堀河塾,荻生徂徠の蘐園塾,細井平洲の嚶鳴館,菅茶山の廉塾,広瀬淡窓の咸宜園,木下犀潭の韡村書屋などの漢学塾,シーボルトの鳴滝塾や緒方洪庵の適塾などの洋学塾が著名。幕末,民衆の向学熱が高まり,開設数は急増した。なお,私塾のうち幕府や藩に士官していた儒者などが幕藩から公認され,幕臣・藩士の子弟教育のために設けたものを家塾と呼ぶこともある。家塾では,幕藩から施設や修繕費用などの支給を受けていたものがあった。私塾の中には咸宜園のように明治時代になってもしばらく存続したもの,慶應義塾のように現代の私立大学にまで展開したもの,適塾のように大阪大学の母体とされるものがあるなど,現代日本の大学に大きな影響を残している。
著者: 冨岡勝
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…これは,市井の学者による批判を受けながらも,幕末の国学,蘭学の高揚を迎えるまで権威を保ち続けた。江戸時代の学校としては,このほか,藩校(藩黌,藩学),郷学,私塾,寺子屋などがあり,戦乱のない社会で,それぞれ発展した。藩校は各藩が藩体制強化のため武士の子弟に儒学と武道を教授することを目的として設置された。…
…朝鮮で初学者のための入門的な教育を行う私塾をいう。李朝中期以後に発達し全国に普及するが,起源は遠く高句麗の扃堂(けいどう),高麗の郷先生,高麗末・李朝初期の書斎にさかのぼる。…
※「私塾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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