デジタル大辞泉 「作法」の意味・読み・例文・類語
さ‐ほう【作法】
㋐物事を行う方法。きまったやり方。きまり。しきたり。「婚儀は旧来の
㋑起居・動作の正しい法式。「礼儀
㋒詩歌・小説などのきまった作り方。さくほう。「小説
2 (‐ホフ) 仏事を行う法式。葬礼・授戒などの法式。
「例の―にをさめ奉るを」〈源・桐壺〉
→
[類語]礼儀・エチケット・マナー・行儀・
さく‐ほう〔‐ハフ〕【作法】
[補説]現代では多く「さほう」という。
人間の社会生活にかかわる多くの慣習やしきたりのうち,ふつうとくに起居動作,言語,身なりなどに関する正しいとされる方式を作法と呼ぶ。日常生活の作法はおおむね習慣化されており,破られてはじめて気になるような非意識的な形式である。そして破られた場合にも,その制裁は法的規範の場合とはちがって,せいぜい交際仲間からのけものにされるという間接的な社会排除にとどまる。また,ある社会では3本指で食べるのが作法であるのに,ほかではフォークで,あるいははしで食事するのが決りであるといったように,作法の形式はたいてい,そうでなければならないという合理的根拠を欠いていて,一部の社会階級が好んで始めたものを,ほかの階級もとり入れることによってしきたりとなったものが多い。
作法はあらゆる社会にあるはずだが,求心的な社会状況においてとくに強く意識される。作法は一般に,人間の衝動や情感の自己抑制という側面をもつが,人間が他人に依存せず,それぞれ勝手に生活している状況においては,そのような作法はいらないであろう。ところが,中世後期に生まれたヨーロッパの宮廷社会のように,緊密な社会的相互依存体系が成立すると,ただ単に他人に害をあたえてはならないというだけでなく,他人に不快感をあたえるおそれのあるふるまいを抑制し,周囲の人々の動作を模倣するなどして,できるだけ他人に気に入られるようにふるまう必要が生じる。そうして,挙措動作の全般にわたってある種の洗練化が徐々にすすみ,それはけんかやあだ討ちにも作法,礼儀があるといわれるように,立居振舞のあらゆる領域に及ぶ。作法が倫理道徳の問題であるよりも,むしろしばしば美の問題であり,無作法な動作は悪であるよりも醜と感じられることが多いのも,このような成立事情によっている。
しかしながらまた,一方で作法にはイスラム系の作法のように,起居動作の細かな点にまで(宗教的)意味づけをあたえようとする面や,儒教的作法のように,日常生活のすみずみにまでいわゆる人倫秩序のような社会秩序を浸透させようとする面もある。これらの点も含めて,概して作法は,個人の日常生活の,意識にのぼることの少ない部分について,社会が及ぼそうとする統制であるといえる。
執筆者:野村 雅一
中国語で〈作法〉といえば,文章や物の作り方,事柄の処理の仕方を言い,エチケットにあたるのは〈礼節〉や〈礼貌〉という言葉である。中国では,礼儀作法は単なる美的しぐさではなく,〈礼〉という広大な体系の一環に組み込まれていた。〈礼〉は人間の社会的行為のすべてにかかわり,習俗,制度,さらには文化と言い換えてもよいが,そのなかでひと口に〈礼儀三百威儀三千〉(《中庸》)と呼ばれる,対他的な身体表現が日本語の作法に該当する。作法のねらいは,人間関係の円滑化という現実的な効用にのみとどまるのではなく,その背後には,〈仁〉〈義〉〈孝〉〈忠〉〈誠〉〈信〉といった徳目の実践という儒教的理念がある。その具体的な細則は,《礼記(らいき)》曲礼(きよくらい)・内則(だいそく)篇,あるいは朱熹(しゆき)(子)の《小学》などに定められている。こうした作法にはもとより封建的な身分秩序が貫徹されているが,新中国が成立して人間が水平化された現在,古い作法がエートスとしてなお根強く存続する一方,〈握手〉などの新しい作法も生まれてきている。
執筆者:三浦 国雄
作法はとくに礼儀作法とか行儀作法という表現で,他人と接触する場合や他人と同席する場合にとるべき立居振舞の意味に使用される。作法という語は中国古代から存在し,ものごとの行い方を意味しており,日本において現在のような意味になったものと判断され,すでに平安時代からそのように使用されている。特定の場面に特定の望ましい行為・態度が存在することは古今東西同じであるが,日本においても社会の発達に伴い形成され,それを作法と表現するようになったのであろう。社会の階層文化は,それぞれの性,世代,あるいは身分,家格という人間の位置に応じて行動することを要求し,そこに作法の基本があるといえよう。他人と行き来するときの挨拶をはじめ,地域のさまざまな会合や行事での立居振舞,とくに会場のどこに座を占めるか,どのように発言するかなどについて一定の基準があった。若者組はその作法を身につけさせる重要な教育機関であった。室町時代に成立した小笠原流は江戸時代の武士の礼法として一般化し,その武士的な礼法がしだいに町人や百姓の上層部に影響を与えていったし,明治以降は都市生活者や地主層の礼儀作法の基準となった。そのため,農家の子女を,お屋敷奉公とか行儀見習いと称して,都市の富裕層の所へ奉公させ,作法を身につけさせることも行われた。第2次大戦後は従来の固定的な作法が大幅に壊れ,古い世代を嘆かせることとなった。
執筆者:福田 アジオ
封建制度が黄金期を迎え,武勇のほかに優雅洗練を重視する宮廷(クルトア)趣味が,貴族・戦士階層に浸透するようになると,エリートとして恥ずかしからぬ立居振舞や心がけを教える作法書が編まれるようになる。富める者と貧しい者との二極分解が進行し,新興町人階層の進出で脅威を受けたこの階層が,みずからの精神的優位を保持し,一体感をかき立てるための操作の一つでもあった。一方,聖職者階層も,世俗の日常生活に介入し,これに公序良俗の網目を張りめぐらそうとする。作法書というよりも生活指導書とでも呼ぶべきものが生み出されるゆえんであった。
オック語の世界では,トルバドゥールがEnsenhamen(〈教訓〉〈芸訓〉の意)の名で総称される詩のジャンルで,それぞれの社会階層でよい評判を得るための行動規範や,事をなすに当たっての慎重な配慮を強調する(アルノー・ド・マルイユ,ソルデル)。しかしながら,教育効果の最も期待できるのは若者(とりわけ騎士志願の)であるから,彼らを対象とした作品がつくられる。なかでもアマニュ・ド・セスカス(13世紀末)の,場所柄にふさわしい服装身だしなみを教える詩,恋する騎士に成長するための心得,話し方を仕込む詩が有名である。
オイル語の世界では,父親が息子に公私両生活の心得を説くという趣向の〈ユルバンの訓戒〉(13世紀),〈食卓の心得〉(13世紀および15世紀)のほか,流行のアレゴリー手法を用い,武勇には気まえよさと礼儀正しさの両翼がありとして,優雅の道を説くラウール・ド・ウダン作《両翼物語》(13世紀前半),騎士叙任の際の心がけを教える《騎士叙任》(13世紀),父親が息子に礼儀作法を教えるロベール・ド・オ作《トレボールの教訓》(1192-1240)が作られる。さらに,もっと手のこんだものとしては,ロベール・ド・ブロア(13世紀)の,王侯に作法や道徳的教訓を説く《帝王学》,女性に淑徳をすすめる《婦女への訓戒》がある。
宮廷生活での最大の関心事は,すぐれた騎士と才色兼備の貴婦人との恋愛であったから,これを主題にした数多くの宮廷風騎士道物語が,最も効果的な礼儀作法書でもありえた。言動の範とするに足る例,避けるべき悪しき例を,筋の展開につれて学びとることができたからである。また,愛の夢想をアレゴリーの手法で精細に描写した《薔薇物語》(ギヨーム・ド・ロリス作,1220-40)も,そのような役割を果たしえた。愛の諸相を分析した司祭アンドレの《恋愛術》の翻訳(1290)は,教条的な愛の作法書として機能したと思われる。フランス中世の作法書を列挙するいとまはないので,14世紀のジャフロア・ド・シャルニエ作《青年騎士教育の書》《騎士ラ・トゥール・ランドリの息女の教育の書》を加えるにとどめたい。
上述の作法書が,中世ではしばしば当代風刺の役割を果たしていたこと,宮廷での処世術を教えるものとして,のちのB.カスティリオーネの《廷臣論》を用意するものであったことを指摘しておく。
執筆者:新倉 俊一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
字通「作」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
作法(さくほう)と読んだ場合は、詩歌・文章の作り方、つまり、ものの仕方や所作の方法をいう。作法(さほう)は日常生活における「立ち居ふるまい」の法式、行儀作法をさすが、現在ではともに作法(さほう)とよんで、両者を兼ねた意味に用いる例も多い。われわれの社会生活は、ある程度共通した思想・感情・意志などをもって営まれるが、意志を他人に向かって表現するとき、「ことば遣い」となり「作法」となって現れる。このことば、動作、立ち居ふるまいの基準となるものが「作法」である。社会生活のうえに欠くことのできない生活規範であり、社交のうえで円滑となる態度を示すものである。なお、仏教でいう作法とは、葬礼・授戒・仏事などの儀式をいう。
[石川朝子]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新