朝日日本歴史人物事典 「中島名左衛門」の解説
中島名左衛門
生年:文化14(1817)
幕末の洋式兵学者。長州(萩)藩士。諱は喜勝。長崎生まれ。高島秋帆 の門に入って洋式砲術を学ぶ。安政6(1859)年長州藩に招かれて洋式砲術を藩士たちに指導し,また藩の方針に従って軍制を西洋式に改革する。文久3(1863)年,攘夷に備えて下関砲台の築造工事を命じられ,日夜工事を督励して完成させた。下関砲撃事件(1863)において4国連合艦隊と砲撃戦を交えた長州藩の砲台は,このとき名左衛門が指導して建造したものである。彼の重用を嫉視する藩士によって襲撃され落命した。
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報