旅行によって体験したり見聞したりしたことを中心につくられた文学作品で、日記、書簡、詩、随筆のような形式を用いる。
[船戸英夫・平野和彦]
中世においては、未知の世界がほぼ無限に広がっていたために、しばしば荒唐無稽(むけい)な描写が真実として人々を驚愕(きょうがく)させることがあった。たとえば、14世紀のあるフランス作家が『サー・ジョン・ド・マンドビルの旅行記』を出版し、1377年には英語に翻訳されて人気を博したが、これは数々の旅行者の手記を寄せ集めて編集したものであって、サー・ジョンも架空の人物であった。マルコ・ポーロの『東方見聞録』やイブン・バットゥータの『三大陸周遊記』にしても虚実が入り乱れ、どこまで真実であり、どこまで誇張であるかはさだかでない。しかし、『東方見聞録』が黄金の国であるとした日本への関心を高め、ヨーロッパ人の好奇心や探検欲を刺激したことは確かである。それが異国趣味を刺激し、東洋への伝道やピエール・ロチやラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に代表されるわが国への憧憬(しょうけい)につながる。
しかし交通が不便であり、旅とは難儀(トラバイユtravail)であった時代には、旅行は地域的に限られていた。そこでフラーThomas Fuller(1608―1661)の『イギリス風土記(ふどき)』(1662)のように各州別に特徴・名言・人物伝が流布し、馬・馬車・船などにより国内旅行が盛んになった。18世紀にはジョンソンとボズウェルのスコットランド高地地方と島嶼(とうしょ)への旅行記『ヘブリディーズ諸島旅日記』(1785)が人気をよび、20世紀にはモートンHenry Vollam Morton(1892―1979)の『イギリス探訪記』(1927)が版を重ねている。
ハクルートRichard Hakluyt(1552?―1616)やクックなどの旅行記によってやがて世界への目が開かれるが、ヨーロッパ内部でも地中海の陽光を求めてイタリアへと旅立ち優れた紀行文を残した作家も多い。フランスでは、イタリアでの温泉治療に旅立ったモンテーニュが『イタリア旅行記』(1680~1681執筆、1774出版)を残しており、一生イタリアにあこがれ続けたスタンダールが『ローマ・ナポリ・フィレンツェ』(1817)や『ローマ散歩』(1829)を著した。ドイツでも、イタリアへの憧憬に導かれたゲーテは『イタリア紀行』(1816~1817)を書いた。こうした情熱はさらに、イギリスの作家で歴史家でもあるベロックの『ローマへの道』(1902)やD・H・ローレンスの『イタリアの薄明』(1916)へと発展する。またデンマークの作家アンデルセンも外国旅行を好み、ドイツ、オーストリア、イタリア、ギリシア、トルコなどの大紀行記『一詩人のバザール』(1842)を筆頭に『スウェーデン紀行』(1851)、『スペイン紀行』(1863)、『ポルトガル紀行』(1868)など多くの紀行文を著している。一方、ドイツに目を向け、ラインの印象を綴(つづ)ったユゴーは『ライン河幻想紀行』(1842)を書いた。
ヨーロッパ以外のエキゾティスムに目を向けた作家もいた。ロチの『日本の秋』(1889)やハーンの『日本瞥見(べっけん)記』(1894)は日本への関心を高め、バートンの『東アフリカへの第一歩』(1856)、T・E・ローレンスの『知恵の七柱』(1926)は古典的名著となった。アメリカのヘンリー・ジェームズも紀行文集『フランスの田舎(いなか)町めぐり』(1886)、『郷愁のイタリア』(1909)などを書いている。ジッドは『コンゴ紀行』(1927)や『ソビエト紀行』(1936)を書き未知の世界の実像を公にし、文学者の目で政治を批判したが、D・H・ローレンスは『カンガルー』(1923)、『翼ある蛇』(1926)でオーストラリアとニュー・メキシコへの旅行を小説化した。また同じころフォースターもインド旅行の体験から長編小説『インドへの道』(1924)を生んだ。1934年にはウォーのブラジル旅行記『ガイアナとブラジルの九十二日間』が出版されている。インド生まれでエジプトやアルゼンチンなどでの経験に富んだイギリス人作家ダレルも独特の表現で『海のビーナスの思い出』(1953)などの紀行文を著している。海洋生物学を学んだスタインベックは、友人の生物学者リケッツEdward Flanders Robb Ricketts(1897―1948)との共著で『コルテスの海』(1941)を書いた。この作品は紀行文であると同時に航海日誌を中心とした海洋文学でもある。
1950年以降は交通手段の発達により世界各地を旅行する人々ははるかに増え、それに比例して紀行文も洋の東西を問わずおびただしく出版されるようになった。そのなかでは、イギリスのチャトウィンBruce Chatwin(1940―1989)の『パタゴニア』(1977)やサブロンColin Thubron(1939― )の『ロシア民族紀行』(1985)、アメリカのセローPaul Theroux(1941― )の『中国鉄道大旅行』(1989)、『大地中海旅行』(1995)などが注目される。
[船戸英夫・平野和彦]
日本の場合、紀行文学は広義の日記文学のなかに入り、随筆文学とともに自照文学の一角を占める。散文を主とするが、とくに古典文学には詩歌を挿入したものも多い。近代には書簡体のものもある。なお、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』や宴曲(早歌(そうか))のなかの地名を列挙した歌謡や、主人公が旅行く道程を美文で描写する中世以来の道行文(みちゆきぶん)(軍記物語、謡曲、浄瑠璃(じょうるり)など)、さらに主人公の旅を全部もしくは一部のモチーフとした『竹斎(ちくさい)』(富山道冶(とみやまどうや))、『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』(十返舎一九)、『金色夜叉(こんじきやしゃ)』(塩原の景など。尾崎紅葉)、『旅愁』(横光利一)などは、創作文学という点で紀行文学ではないが、関連はある。
[福田秀一・平野和彦]
日本における紀行文学は次代の『土佐日記』に始まるが、上代にもその萌芽(ほうが)はある。一つは、記紀歌謡の八千矛神(やちほこのかみ)のものや仁徳(にんとく)天皇の后(きさき)磐之媛(いわのひめ)の旅を叙したものなどで、後世の道行文の原型といえる。もう一つは、『万葉集』のなかの柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)(巻2)や高市黒人(たけちのくろひと)(同)の旅の歌群や、遣新羅使(けんしらぎし)の歌群(巻15)などで、地名と感情を詠み込み、紀行文学の原型といえる。
[福田秀一・平野和彦]
平安時代に入ると入唐(にっとう)僧の紀行『入唐求法巡礼行記(ぐほうじゅんれいぎょうき)』(円仁(えんにん))、『行歴抄(ぎょうれきしょう)』(円珍)などがあるが、構想や自照性その他から紀行文学の祖とすべきは、紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記』である。この時代には、ほかに『増基(ぞうき)法師集』(別名『いほぬし』、成立年時未詳)があり、『更級(さらしな)日記』の冒頭部も上総(かずさ)から都へ上る紀行文学となっている。また平安貴族の物詣(もう)で(社寺参詣(さんけい))の習慣を反映して、『蜻蛉(かげろう)日記』や『更級日記』にも初瀬詣でその他の部分がある。
[福田秀一・平野和彦]
鎌倉時代に入ると、院政期からいっそう盛んになった寺社参詣の流行を背景に『高倉院厳島御幸記(いつくしまごこうき)』(源通親(みちちか))、『伊勢(いせ)記』(鴨長明(かものちょうめい)、散逸)などが書かれ、また京都と鎌倉を往復する文化人も多く、『海道記』(作者未詳)、『東関(とうかん)紀行』(同)、『十六夜(いざよい)日記』(阿仏尼)なども出た。また、平安後期の能因や西行(さいぎょう)に始まる歌枕(うたまくら)探訪と漂泊の旅を行う隠者も現れ、『問はず語り』の後半などはそうした紀行である。南北朝・室町期には社寺参詣や風流漂泊の旅のほかに、戦乱や地方大名の勃興(ぼっこう)による文化人の移動も多く、また将軍への随行や武将の出陣、遠征などの旅もあり、多数の紀行文学が書かれ、現存するものでも約50に上る。とくに宗祇(そうぎ)ら連歌師のものが注目される。
[福田秀一・平野和彦]
文化人の旅はいっそう盛んになり、芭蕉(ばしょう)の『おくのほそ道』その他はとくに有名・重要であるが、賀茂真淵(かもまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、菅江真澄(すがえますみ)ら国学者や荻生徂徠(おぎゅうそらい)、貝原益軒など漢学者にも作品がある。
[福田秀一・平野和彦]
近代にも正岡子規(しき)、長塚節(たかし)、高浜虚子、若山牧水など歌人・俳人系統のものがあるほか、明治には大和田建樹(たけき)、大町桂月(けいげつ)、田山花袋(かたい)らの美文による紀行文学の流行があり、また幸田露伴(ろはん)、小島烏水(うすい)らの写実的なものもある。大正期以降にかけては徳冨蘆花(とくとみろか)の『日本から日本へ』、島崎藤村(とうそん)の『海へ』『エトランゼエ』など海外旅行を素材とするものや、木暮理太郎(こぐれりたろう)、田部重治(たなべじゅうじ)(1884―1972)ら登山家のものも注目される。さらに現代には記録文学の姿勢による紀行文学が多くなっている。
1958年(昭和33)、『現代紀行文学全集』(修道社、全10巻)が刊行された。ここには日本各地域編、山岳編、詩歌編などで構成された膨大な量の紀行文が掲載されている。また1959年から1961年にかけては『世界紀行文学全集』(修道社、全21巻)が刊行され、日本人の海外旅行紀行文集大成ともいうべき膨大なシリーズが完成した。以降はこのような大規模な紀行文集は刊行されていないが、交通手段の驚異的な発達による海外旅行の増加、海外留学あるいは海外在住体験者の増大によって、紀行文がエッセイの領域と相まって枚挙にいとまなく出版され続けている。
[福田秀一・平野和彦]
日本人は、自然を人生と対立するものとしてでなく人生の一部としてとらえ、自然と一体化しようとするのがヨーロッパ人との大きな違いで、その点が紀行文学に端的に出ている。歌枕や美しい風景に対する態度やその描写にもそれがみられる。また散文の中に韻文(詩歌)を挿入すること、叙景と叙情が渾然(こんぜん)一体となっていることなども、日本文学の特色とされている。
[福田秀一・平野和彦]
『福田清人編『明治文学全集94 明治紀行文学集』(1974・筑摩書房)』▽『志賀直哉・佐藤春夫・川端康成・小林秀雄・井上靖監修『現代日本紀行文学全集』全10巻、補巻3(1976・ほるぷ出版)』▽『志賀直哉・佐藤春夫・川端康成・小林秀雄・井上靖監修『世界紀行文学全集』全21巻(1979・ほるぷ出版)』▽『大曽根章介・久保田淳・桧谷昭彦編『研究資料日本古典文学9 日記・紀行文学』(1984・明治書院)』▽『五十嵐富夫著『日本紀行文学の研究――生活・交通・民俗的考察』(1986・柏書房)』▽『デンマーク王立国語国文学会編、鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集』全10巻(1986~1987・東京書籍)』▽『『新日本古典文学大系51 中世日記紀行集』(1990・岩波書店)』▽『白井忠功著『中世紀行文学論攷』(1994・文化書房博文社)』▽『『新編日本古典文学全集48 中世日記紀行集』(1994・小学館)』
旅の見聞をもとにした記録や文学は,古今東西を通じて広く行われた。紀行文には,さまざまな目的のための事実の〈記録〉という側面と,旅の経験の〈再構成〉すなわち〈物語〉という側面の二面がある。すぐれた紀行文や旅行記が,時代をこえて文学としても享受されるのは,見聞や体験が未知の情報や資料の伝達を通して再編され,記録的価値の変動に左右されない経験となって語られるからである。世界文学にはさまざまな紀行文学の傑作が存在するが,ここでは,独自のジャンルとして確立し展開した日本の紀行文学をとりあげる。諸外国の紀行,見聞記,航海記などについては,〈旅行記〉の項目を参照されたい。
現存する最初の旅と文学との出会いは,記紀に見られる〈道行(みちゆき)〉を記した歌謡で,この地名を行程順に列挙する手法は《太平記》などを経て浄瑠璃や歌舞伎にまで伝承されている。さらに,《万葉集》の柿本人麻呂,山部赤人,高橋虫麻呂,大伴旅人,山上憶良,大伴家持の歌あるいは防人(さきもり)歌などの旅を詠んだ作歌は古代前期の旅の文学として位置づけられよう。古代後期に入ると,円仁の《入唐求法巡礼行記(につとうぐほうじゆんれいこうき)》などの作品がないわけではないが,真の意味でジャンルの誕生を告げるのは紀貫之の《土佐日記》(935?)であろう。これに続いて増基の《いほぬし》があるが,古代後期で注目すべきは藤原道綱母(みちつなのはは)の《蜻蛉(かげろう)日記》(977?)や菅原孝標女(たかすえのむすめ)の《更級(さらしな)日記》(1069?)で,これらの日記文学には物詣(ものもうで)や帰京記などの旅を描いた部分があり,文学的にも一つの到達点となっている。院政期になると天皇,上皇の熊野御幸が頻発し,漢文日記などに記載されている。
中世に入ると紀行文学はさらに多彩となり,(1)漂泊,(2)鎌倉と京都との往来,(3)戦乱を避けた京都文化人の地方への移動という三つの型の紀行文学が出現する。(1)の典型は西行で《西行物語絵巻》にまとめられており,その延長線上に《一遍上人絵伝》というすぐれた旅の絵巻が存在する。後深草院二条の《問はず語り》の後半部もこれに属している。(2)には《海道記》《東関紀行》あるいは阿仏尼の《うたたね》や《十六夜(いざよい)日記》(1280)が著名で,《雅顕集》《為信集》《実材母(さねきのはは)集》などの私家集にもこうした傾向が見られる。(3)は多数存在するが,文学的達成度は少ない。
近世に入ると《竹斎》や浅井了意の《東海道名所記》(1658-61)などの名所記物の仮名草子からはじまり,旅を主題とした小説が登場し,その極点に十返舎一九の《東海道中膝栗毛》(1802-09)がある。しかし,近世の紀行文学の卓抜は《野晒紀行》(1685)から《おくのほそ道》に至る松尾芭蕉の一連の紀行文で,物見遊山的な旅を拒否するその風流への旅は後の紀行文学に強い影響を与えている。なお,江戸期には,学者,文人の紀行作品が多数刊行されており,林道春(羅山)《丙辰(へいしん)紀行》,賀茂真淵《旅のなぐさ》,本居宣長《菅笠日記》あるいは貝原益軒《岐曾路之記》,橘南谿《東遊記》《西遊記》などがあり,井上通女《東海紀行》のように女性によって書かれたものもある。特に注目すべきは菅江真澄の1783年(天明3)から1829年(文政12)に没するまでの70冊におよぶ《遊覧記》と称せられる旅日記で,幕末期の東北地方の常民生活を類例をみないほど詳細に記している。
執筆者:三谷 邦明
宿駅制度の改革と旅行の自由化,くわえて鉄道建設と海外交通とが近代の紀行文学の背景をなす。成島柳北《航薇日記(こうびにつき)》(1879-81),《航西日乗(こうせいにちじよう)》(1881-84),幸田露伴《枕頭山水》(1893),尾崎紅葉《煙霞療養》(1904)は文人気質溢るる逸品である。また,キリスト者宮崎湖処子(こしよし)の《帰省》(1890)は小説風の紀行としてユニークであり,正岡子規《はて知らずの記》(1893)は俳人,歌人の旅日記のスタイルの先駆となった。博文館の大橋乙羽(おとわ),田山花袋,大町桂月の健筆は旅情を誘う作を生んだが,なかでも桂月の《一簑一笠(いつさいちりゆう)》(1901)が名高い。志賀重昂の《日本風景論》(1894)は小島烏水の《日本アルプス》(1910-15)に始まる山岳文学の流れの基点となった。一方,柳田国男の場合は民俗学のフィールドワークが文学そのものとなった稀有な存在として知られる。しかし,いわゆる紀行文は,たとえば夏目漱石《満韓ところどころ》(1909),芥川竜之介《支那游記》(1925),井伏鱒二《七つの街道》(1957)のように,小説家,詩人などの余技として大量に書かれた。それらは《現代紀行文学全集》(1966-67)に集大成されている。戦後は,新幹線の開通,高速道路の整備などにより,旅の形態が著しく変化したため,司馬遼太郎《街道をゆく》(1971-96)をはじめ傑作は多いものの,個性的な旅の表現は難しくなったといえる。
執筆者:野山 嘉正
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