中島良貞(読み)ナカジマ ヨシサダ

20世紀日本人名事典 「中島良貞」の解説

中島 良貞
ナカジマ ヨシサダ

大正・昭和期の放射線医学者 九州大学名誉教授



生年
明治20(1887)年4月9日

没年
昭和46(1971)年1月5日

出生地
長崎県南高来郡

学歴〔年〕
九州帝大医科大学〔大正3年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔大正12年〕

経歴
大正4年九州帝大武谷内科に入り、14年欧米留学、レントゲン学を研究。昭和2年帰国して助教授、4年国立大学に初の放射線科を創設、教授となった。11年福岡市で開いた第3回日本放射線医学会会長、18年改組の日本医学放射線学会長、19年九大医学部付属病院長、21年医学部長となったが、20年の生体解剖事件の戦争責任を負って22年3月、教授を辞し退官。島原市で中島医院を開業、33年病院に拡張。九大名誉教授、日本医学放射線学会名誉会員、日本放射線技術学会名誉顧問。著書に「医学レントゲン学講義」(全3巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中島良貞」の解説

中島良貞 なかじま-よしさだ

1887-1971 大正-昭和時代の放射線医学者。
明治20年4月9日生まれ。昭和4年母校九州帝大に国立大学最初の放射線科をつくり教授となる。のち付属病院長,医学部長を歴任。22年郷里の長崎県で開業した。日本医学放射線学会会長。昭和46年1月5日死去。83歳。著作に「医学レントゲン学講義」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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