朝日日本歴史人物事典 「中島長守」の解説
中島長守
生年:元禄7(1694)
江戸中期の砲術家。中島流砲術の流祖。通称は太兵衛。貫斎と号した。墓碑では諱を長盛とする。大坂の出身で,初め斎藤新蔵に就いて武衛流砲術を学び,また大野宇右衛門から自得流砲術を授けられ,さらに佐々木浦右衛門に従って佐々木流砲術を修めた。のちこれらの三流を取捨合体して流儀を立て中島流砲術と称した。中島流は連矢砲(矢を一度に発射する)や玉砲録(焼夷,信号に使う軍用花火)を特徴としていた。実子がなかったため弟子の浅羽主馬政庸やその子筈之助政方がその伝系を継いだ。門人に森重都由がいる。
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報