朝日日本歴史人物事典 「中川宗瑞」の解説
中川宗瑞
生年:生年不詳
江戸中期の俳人。通称は三郎兵衛。初号は風葉。別号に白兎園がある。江戸の人で,両替為替を業とした。俳諧においては,初め榎本其角,水間沾徳らに親炙したが,『五色墨』に参加後,独特の活動を展開。ことに『五色墨』連衆のひとりである大場咫尺と『柿むしろ』(1734)で宗匠立机を果たしてより,かつての師,貴志沾洲と感情的齟齬が生じる。以後,甲州俳人などと交流を深め,結局は江戸の主要俳人から疎外されたかたちで,佐久間柳居の門弟のような活動を示す。享保期(1716~36)の俳壇変動に,翻弄された人物。
(楠元六男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報