五色墨(読み)ごしきずみ

精選版 日本国語大辞典 「五色墨」の意味・読み・例文・類語

ごしきずみ【五色墨】

  1. 俳諧集。享保一六年(一七三一江戸座点取り俳諧に不満をもって、中川宗瑞、松本蓮之、大場咫尺(しせき)長谷川馬光、佐久間長水らが刊行した。しゃれや比喩(ひゆ)を捨てて平明に就くことに努力し、のちの中興俳諧先駆役割を果たした。

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改訂新版 世界大百科事典 「五色墨」の意味・わかりやすい解説

五色墨 (ごしきずみ)

俳諧撰集。長水ら編。1731年(享保16)刊。其角没して25年,世の作者はまことの心を失い,孕(はら)み句を作っては,点取勝負にこだわる。このような弊を排するため,宗瑞(そうずい),蓮之,咫尺(しせき),素丸,長水の5人が相寄り,《新撰六帖》にならって輪番で1人が判者となり,四吟歌仙五巻を興行し,互いに批評し合って楽しんだ。巻頭点取俳諧を難じた《雑談集》の其角の文を掲げ,巻末には敬雨を加えた6人の竟宴歌仙を付す。蕉風復古運動の先駆と目される俳書で,復古理念を明確に主張するのではないが,俳風は平明を期し,江戸座の比喩俳諧を衰退に導いて,この後の中興運動(天明俳諧)に道を開いた功は大きい。その背景に素堂・嵐雪・杉風(さんぷう)系俳人連係による,其角系沾洲(せんしゆう)一派への対抗を見る説もあるが,俳壇ではこの5人はむしろ沾洲圏内の人であった。本書の名を継いで1751年(宝暦1)に《続五色墨》,78年(安永7)に《五色墨三篇》が刊行され,その評価をうかがわせる。
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百科事典マイペディア 「五色墨」の意味・わかりやすい解説

五色墨【ごしきずみ】

宗瑞,柳居ら江戸の素人俳人による俳諧撰集。1731年刊。作者たちが順に判者となった四吟歌仙5巻などを収める。俳壇的野心のない素人集団が,点取(てんとり)の勝負に拘泥せず自由に俳諧に遊ぶという数奇的性格の書。のちに沾涼(せんりょう)によって,江戸に盛行していた難解な比喩俳諧に対する批判の書として評価され,蕉風復古運動の先駆的役割を果たした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五色墨」の意味・わかりやすい解説

五色墨
ごしきずみ

江戸時代中期の俳諧集。白兎園 (中川) 宗瑞 (1685~1744) 編。1冊。享保 16 (31) 年刊。長水,蓮之,咫尺 (しせき) ,素丸,宗瑞の5人の連句集で,1人ずつ交代で他の4人の唱和を評する。江戸座に対する批判の書で,中興俳諧の先駆的役割を果した。

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世界大百科事典(旧版)内の五色墨の言及

【天明俳諧】より

…長期にわたって各地に指導者が現れ,一種の文学運動として俳壇を導いた。 早くは長水らの《五色墨》(1731)が江戸座俳諧に背いて平淡を重んじたが,本格化したのは宝暦年間(1751‐64)からで,江戸では蓼太(りようた)が江戸座を批判し,京では嘯山が《俳諧古選》で広く元禄諸家の風に学べと説いた。江戸座・貞門・談林派(都市系俳諧)の過度の技巧や遊戯化,美濃派伊勢派(地方系俳諧)の平板卑俗化への反発に出るが,決して統一された運動ではなく,各人共通の意識は〈芭蕉復興〉のみであった。…

※「五色墨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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