中村裕(読み)ナカムラ ユタカ

20世紀日本人名事典 「中村裕」の解説

中村 裕
ナカムラ ユタカ

昭和期の医師 (福)太陽の家創設者。



生年
昭和2(1927)年3月

没年
昭和59(1984)年7月23日

出生地
大分県別府市

学歴〔年〕
九州大学専門部医科(現・医学部)〔昭和26年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
吉川英治文化賞〔昭和50年〕,西日本文化賞(第39回)〔昭和55年〕,朝日社会福祉賞〔昭和59年〕

経歴
昭和33年から国立別府病院整形外科医長、35年英国に留学してリハビリテーション医学を研究し、帰国後の41年別府市に“太陽の家”を創設してからは身障者の福祉一筋。また「身障者にどんな力が残っているかが問題」が信念で、身障者のスポーツ振興に尽力した。63年中村裕伝刊行委員会(水上勉代表)により「中村裕伝」が刊行され、平成元年丸尾逸子により点訳された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村裕」の解説

中村裕 なかむら-ゆたか

1927-1984 昭和時代後期の医師,福祉活動家。
昭和2年3月30日生まれ。昭和33年から大分県の国立別府病院整形外科医長。40年別府市に身体障害者の職業的自立を目ざす「太陽の家」を設立。また身体障害者のスポーツ振興にもつとめ,39年の東京パラリンピックで選手団長をつとめた。50年吉川英治文化賞。昭和59年7月23日死去。57歳。大分県出身。九大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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