日本歴史地名大系 「中洲浦」の解説 中洲浦なかずうら 香川県:観音寺市中洲浦[現在地名]観音寺市観音寺町 中洲町・中新町(なかしんちよう)・上若町(かみわかちよう)・春日町(かすがちよう)下市(しもいち)浦の北西、財田(さいた)川と一(いち)ノ谷(たに)川の間に形成された中洲に立地。中洲村ともいう。「西讃府志」に「浦の南北に川ありて、其形存せり。村老云ふ乗蓮寺に楠の大樹あり、大きさ三囲、此樹に船繋ぎし事あり。文化四年の火にて焼枯す」とある(ただし大楠は現存)。享徳元年(一四五二)閏八月一五日の琴弾八幡宮放生会祭式配役記(観音寺文書)のなかに、舞車の役者の太鼓役として中洲の五郎左衛門がみえる。寛永国絵図には「坂本中洲」とみえ、高は坂本(さかもと)郷に含まれている。江戸初期の高は一三四石余(円亀領郷村高辻帳)。寛永一八年(一六四一)の山崎領小物成帳では御菜代米二石一斗余。元禄一一年(一六九八)の観音寺居所境内調書(観音寺市教育委員会蔵)では高二一五石余、人数九二〇、加子高九軒・船六。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by