坂本郷(読み)さかもとごう

日本歴史地名大系 「坂本郷」の解説

坂本郷
さかもとごう

「和名抄」東急本に「佐加毛止」の訓がある。「和泉志」は室町時代に京都北野天満宮領であった坂本庄域の今在家(いまざいけ)・桑原(くわばら)・一条院(いちじよういん)・坂本・坂本新家(さかもとしんけ)(新田)・寺門(てらかど)・今福(いまふく)・観音寺(かんのんじ)・寺田(てらだ)(現和泉市)と、牛滝(うしたき)庄の大沢(おおさわ)・牛滝(現岸和田市)の一一村を郷域としている。黒鳥(くろどり)(現和泉市)も坂本庄に含まれているので、郷域内と考えてよいだろう。槙尾(まきお)川・松尾(まつお)川が並行して流れる中流域に位置する。郷内の遺跡には弥生後期の高地性集落である観音寺山(かんのんじやま)遺跡(現和泉市)がある。同遺跡は両河川に挟まれた丘陵上にあり、一〇三棟の竪穴住居が一部にV字溝をめぐらして営まれて防御的性格をもち、各種の石器・土器などのほか鉄製の鏃・刀子・斧なども出土している。古墳は直径四六メートルの二段築成で周濠をもつ円墳である玉(たま)塚(現和泉市)があり、付近に円筒埴輪が散在する。

当郷の古代氏族として著名なのは坂本氏で、さきの玉塚も同氏の墳墓かとされている。記紀や「新撰姓氏録」の氏族伝承によると、武内宿禰の後裔で紀氏と同族と称する。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」高山寺本は訓を欠き、東急本は「佐加毛土」と訓を付す。碓氷峠の根元であるところからその名があり、現松井田(まついだ)町の大字に坂本がある。「続日本紀」天平勝宝五年(七五三)七月一九日条に「左京人正八位上石上部君嶋等七人言、己親父登与、以去大宝元年、賜上毛野坂本君姓、而子孫等籍帳猶注石上部君、於理不安、望請、随父姓欲改正之、□(詔)許焉」とある。このことから「坂本」は八世紀初めには存在し、上毛野坂本君という豪族がいて、坂本君は大宝年間(七〇一―七〇四)以前は石上部君であったことが知られる。上毛野君一族であった石上部君の一族が上毛野坂本君を申請して許されている。石上部君は同書天平勝宝元年五月一五日条に「上野国碓氷郡人外従七位上石上部君諸弟(中略)各献当国々分寺知識物、並授外従五位下」とみえ、碓氷郡人の石上部君諸弟が上野国分寺建立に貢献して、国司級の位を授与されている。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「佐加毛登」と訓を付す。現下益城(しもましき)郡城南(じようなん)町に坂本の地名があり、当郷の遺称地と思われる。「地理志料」は払川(はらいかわ)・椿(つばき)・草野(下草野)・岩野(いわの)・水早河内(木早河内)・中(なか)・松野原(まつのはら)・白石野(しらいしの)・長尾野(ながおの)・佐俣(さまた)など一八邑(現下益城郡中央町)の中山(なかやま)郷に比定。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」所載の郷。「大日本地名辞書」は、郷名は神坂(みさか)峠の下にあたることに由来し、式内坂本神社が坂本村千旦林(せんだんばやし)(現中津川市)の八幡神社にあてられることから、坂本村・中津(なかつ)町・落合(おちあい)村(現同上)の地域に比定している。また「濃飛両国通史」は坂本駅と当郷は別の地として、坂本神社の所在から坂本村にあてている。一方「日本地理志料」は坂本駅と同地域に求め、坂本神社のある千旦林、駅があったと考える駒場(こまんば)村(現同上)を含め、落合・中津川・駒場・千旦林・手金野(てがの)・茄子川(なすびがわ)(現同上)の諸地区にわたるとしている。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」にみえる。諸本ともに訓を欠くが、「さかもと」と読んだことは誤りない。郷域は郡の南端部、現八尾(やお)市のうち垣内(かいち)・恩智(おんぢ)の地域と推定される。坂本の名は、背後の高安山に築かれた高安城から下ってくる坂の下に位置するところから生れたのであろう。恩智には式内社恩智神社が集落の東方の恩智山中腹に存するが、その御旅所で旧社地とされる天王(てんのう)の森付近は、縄文時代中期から弥生時代にかけての遺跡として著名で、縄文―弥生時代の土器・石器を多量に出土した。またその遺跡の東約五キロの垣内山と都塚(みやこづか)山とから銅鐸各一個が発見されている。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」にみえるが、諸本ともに訓を欠く。郷名は早く失われたが、古代史料に散見する埴生(はにう)坂(「日本書紀」履中天皇即位前紀など)が現在の羽曳野(はびきの)丘陵の東側の地(現羽曳野市)にあったことから、おそらくこの郷名が生じたものであろう。なお「延喜式」(諸陵寮)は仁賢陵として埴生坂本陵をあげるが、同陵は丹比(たじひ)郡にあることを明記しており、丹比郡と接する地域に存在したことをうかがわせる。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。「遠江国風土記伝」は坂下(さかしも)郷として敷知(ふち)郡日比沢(ひびさわ)村(現三ヶ日町日比沢)に比定し、新旧の「静岡県史」も比定地は同じ説を採る。「大日本地名辞書」は西浜名(にしはまな)村本坂・日比沢・釣(つり)(現三ヶ日町本坂・日比沢・釣)付近とする。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」東急本には「佐加毛止」と訓を付す。中世の坂本郷は近江日吉社領柞田(くにた)庄(現観音寺市)の北に位置していた(建長八年八月二九日「柞田庄四至示注文」続左丞抄)。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。現気高(けたか)町下坂本(しもさかもと)を遺称地とし、河内(こうち)川西岸の瑞穂(みずほ)谷(坂本谷)一帯に比定される。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」東急本には「佐加毛止」と訓を付す。中世には高野山領坂下(さかもと)庄が成立する。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。「日本地理志料」では「佐加毛止」と読み、坂本(現山元町)の地とする。建武四年(一三三七)二月六日の氏家道誠奉書写(相馬文書)に「奥州曰理郡坂本郷事」とあり、武石四郎左衛門入道に安堵されている。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」東急本には「佐加毛止」と訓を付す。近世初期の坂本郷を遺称地とし、現綾歌(あやうた)郡飯山(はんざん)町の北部一帯に比定される。


坂本郷
さかもとごう

「和名抄」所載の郷で、同書高山寺本など諸本とも訓を欠く。江戸時代の坂本村(現長南町)を遺称地とし、これを含む一帯に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む