中田篤郎(読み)ナカタ トクロウ

20世紀日本人名事典 「中田篤郎」の解説

中田 篤郎
ナカタ トクロウ

大正・昭和期の法医学者



生年
明治17(1884)年2月12日

没年
昭和27(1952)年12月4日

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
大阪高等医学校〔明治43年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
大正3年母校助教授となり、4年からスイスオランダイタリアなどで8年間法医学を研究。9年大阪医科大学法医学講座初代教授となり、昭和18年退官、名誉教授。次いで徳島県立医学専門学校初代校長、国立移管で徳島医科大学、徳島大学医学部となり、初代学長を務めた。著書「中田新法医学」のほか火傷熱傷などの研究業績がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中田篤郎」の解説

中田篤郎 なかた-とくろう

1884-1952 大正-昭和時代の法医学者。
明治17年2月12日生まれ。ヨーロッパ留学後,大正9年大阪医大教授。昭和18年徳島県立医専の校長となり,24年後身の徳島大初代学長。火傷,熱傷の研究で知られた。昭和27年12月4日死去。68歳。兵庫県出身。大阪府立高等医学校(現阪大医学部)卒。著作に「中田新法医学」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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