中臣十三塚古墳群(読み)なかとみじゆうさんづかこふんぐん

日本歴史地名大系 「中臣十三塚古墳群」の解説

中臣十三塚古墳群
なかとみじゆうさんづかこふんぐん

[現在地名]山科区西野山中臣町・勧修寺西栗栖野町

山科盆地の西南部、栗栖野丘陵上に営まれた古墳後期の群集墳。もとは一三基の小円墳があったらしいが、宮道みやじ古墳(→宮道列子墓折上おりがみ神社古墳の二基が現存、ほかに半壊の一基が知られる程度である。ほかは近年の宅地造成で完全に消滅した。昭和四六年(一九七一)発掘調査の際、宮道古墳の西方二〇メートルほどの地点で、周濠横穴式石室の基底部のみを残す小円墳を検出、石室内からは七世紀前半代の須恵器数点が出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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