中臣習宜阿曾麻呂(読み)なかとみのすげの あそまろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中臣習宜阿曾麻呂」の解説

中臣習宜阿曾麻呂 なかとみのすげの-あそまろ

?-? 奈良時代官吏
大宰主神(だざいのかんつかさ)のとき「道鏡(どうきょう)が皇位につけば天下太平となる」との神託をのべる。のち和気(わけの)清麻呂が神託が偽りであることをあきらかにしたため,神護景雲(じんごけいうん)4年(770)道鏡の失脚とともに多褹嶋(多禰島)守(たねのしまのかみ)に左遷された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の中臣習宜阿曾麻呂の言及

【中臣氏】より

…文武朝にはいると,娘の宮子(みやこ)を文武天皇夫人とした不比等は,藤原朝臣という氏姓を自分の子孫に限定するために,698年(文武2),朝廷の祭祀は再従兄弟の意美麻呂(おみまろ)らが担当するという理由で彼らを中臣朝臣とし,藤原と中臣との分離に成功した。奈良時代の中臣氏からは,神祇官の長官や次官のほか,正四位上中納言の意美麻呂,その子で正二位右大臣にまで進んだ清麻呂,鎌足の弟の孫で遣唐副使として苦労した名代(なしろ),その子で遣唐判官の鷹主(たかぬし),また意美麻呂の孫で狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)との間の相聞歌が有名な宅守(やかもり),支流からは武官として聞こえた中臣伊勢(連)老人(おきな),道鏡にこびた中臣習宜(朝臣)阿曾麻呂(あそまろ)などの名が知られている。なかでも清麻呂は中納言従三位であった769年(神護景雲3)に大中臣の氏を賜い,その子孫は引き続き大中臣朝臣と称したが,平安初期には親族にも大中臣への改氏を申請して許可されるものが多くなった。…

※「中臣習宜阿曾麻呂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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