山川 日本史小辞典 改訂新版 「多禰島」の解説
多禰島
たねのしま
多(褹)島とも。西海道の一島。現在の種子島・屋久島の一帯。677年(天武6)朝貢してきた多禰島人が饗されたという「日本書紀」の記事が初見。この頃の多禰島・多禰国は南島の総称的意味をもつ。702年(大宝2)多島で「反乱」がおこり,時の文武朝は種子島・屋久島地方を国に準じる「島」という行政区画に編成。多島は,わずかに鹿皮を貢ずる程度で財政的には貧弱であったが,南九州の隼人(はやと)への対策,入唐航路の維持,南島人朝貢の中継のため,大宰府や管内諸国の財政的支援をうけて存続した。9世紀に入ると,同島の存在意義が薄れ,また大宰府公営田制の導入により支援財源の公田地子が減少したため,824年(天長元)4郡を熊毛郡・馭謨(ごむ)郡の2郡に減らしたうえで,大隅国に編入された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報