中西忠蔵(読み)なかにし ちゅうぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中西忠蔵」の解説

中西忠蔵 なかにし-ちゅうぞう

1796ごろ-? 江戸時代後期の武士,版元
寛政8年ごろの生まれ。加賀金沢藩家老奥村家の家臣で,長崎市助と名のった。文政の中ごろ江戸の昌平黌(しょうへいこう)でまなび,切手同心の中西氏をつぐ。天保(てんぽう)7年(1836)ごろから出版をはじめ,頼山陽,中井竹山,尾藤二洲(びとう-じしゅう)らの著作をおさめた「拙修斎叢書」を刊行した。名は邦基。字(あざな)は伯基。号は拙修。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の中西忠蔵の言及

【剣道】より

…また各流とも相互の交流を試みることなく,他流試合を禁止して閉鎖的,排他的となった。このように華法化した形(かた)剣術に対して,江戸中期になって,直心影流の長沼四郎左衛門が正徳年間(1711‐16)に,一刀流の中西忠蔵が宝暦年間(1751‐64)にそれぞれ面,小手,胴などの防具や竹刀(しない)を考案し,防具をつけての竹刀打ち込み稽古が世間の注目をひき,しだいに広まった。これにより技や稽古法も大いに進歩し,現在行われている剣道の原型となった。…

※「中西忠蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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