朝日日本歴史人物事典 「中西忠蔵」の解説
中西忠蔵
生年:寛政8頃(1796)
江戸後期,拙修斎叢書の刊行者。名邦基,字伯基,号拙修。忠蔵は通称。もと長崎市助と称し,加賀(金沢)藩家老奥村家の臣。文政5(1822),6年ごろ江戸に出て昌平黌に学び,御切手同心の中西氏を継ぐ。天保7(1836)年ごろより木活字による出版を始め,二十数種を刊行。のち整版出版も行う。叢書の内容は,頼山陽『日本外史』,中井竹山『草茅危言』,尾藤二洲の著書など,得難い写本や出版の難しい政事向きの書から成り,規制のゆるやかな活字本ゆえの貴重な刊行事業とされる。<参考文献>多治比郁夫「活版先生中西忠蔵」(『中村幸彦著述集』14巻月報)
(安永美恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報