中道子山城跡(読み)ちゆうどうしさんじようあと

日本歴史地名大系 「中道子山城跡」の解説

中道子山城跡
ちゆうどうしさんじようあと

[現在地名]加古川市志方町広尾

中道子山(二七一メートル)山頂に築かれた中世の山城。山麓からの比高は約二〇〇メートル。中堂寺山城とも記す。孝橋繁広が築城し、天文(一五三二―五五)の初め頃まで孝橋氏が城主であったとされる(赤松家播備作城記)。天文三年以前の文書で、高橋平左衛門尉と櫛橋豊後守が英賀あが(現姫路市)から当城へ入城したことが確認できる(一〇月一六日「赤松政村感状」高橋文書)。年未詳だが中道寺山下において合戦も行われている(年未詳六月一二日「浦上村宗感状」中村甚太郎家文書)。天正六年(一五七八)志方しかた城とともに織田方に攻められ、城主の赤松彦次郎は開城したとされる(播州太平記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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