中部村
なかべむら
[現在地名]佐久間町中部
半場村の西にあり、南下した天竜川が大千瀬川を合せ大きく回流して北上する左岸に位置する。集落は主として谷底平地にあって河港として発達した。村名は「なかっぺ」ともいう。文保元年(一三一七)六月七日の関東下知状(尊経閣古文書纂)に避前村内の「中辺名代官屋敷」とみえ、天野観景(景茂)の女子尼是勝と子息天野景広・顕茂との間で争われていた同村等をめぐる相論が和与となった際、同屋敷は是勝分とされた。天正九年(一五八一)五月九日、徳川家康から奥山惣十郎に「中部領三ケ一」などが忠節の賞として与えられた(「徳川家康判物写」萩原文書)。
正保郷帳では永高八貫五七三文、幕府領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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