日本歴史地名大系 「中郷西方」の解説 中郷西方なかんごうにしかた 宮崎県:都城市中郷西方島津庄日向方中郷内の西方を構成する地域呼称。応永三〇年(一四二三)一一月三日の中郷西方福永名内検馬上取帳(鬼束文書)には福永(ふくなが)名を構成した橋口道覚跡の三町余がみえる。福永名の比定地は不明だが、橋口氏は現豊満(とよみつ)町橋口(はしぐち)を名字とするものと考えるとその近辺であろうか。同三二年、中郷西方の本田・市王丸など「合十万町」の内検が行われ、内検馬上取帳(同文書)が作成された。鬼束氏系図(同文書)の久次の項には、応永二〇年の中郷西方西別符四町五反余、同三〇年の中郷西方福永名三町一反五畦、同三二年の中郷西方冨田(とだ)村七〇町三二ヵ村余の田数目録が存在したことが記載され、このうち後二者が伝来している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報