日本歴史地名大系 「中里見村」の解説
中里見村
なかさとみむら
寛永一八年(一六四一)の検地帳(荻原文書)があるが、このときは群馬郡に所属。寛文郷帳では碓氷郡に属し、田方四六一石余・畑方四〇三石余。前橋藩領二〇〇石余、旗本柴田領六六三石余。柴田領は塚崎村と考えられる。元禄郷帳では枝郷塚崎村も記され、高八七八石余。明和二年(一七六五)の領知村高書上(松浦文書)では高六七七石余が上里見藩領。江戸後期の御改革組合村高帳では中里見村二〇三石余・塚崎村六八五石余、ともに高崎藩領。宝永八年(一七一一)には田方三五町三反余・畑方四五町六反余・屋敷地四町余(里見村誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報