中里見村(読み)なかさとみむら

日本歴史地名大系 「中里見村」の解説

中里見村
なかさとみむら

[現在地名]榛名町中里見

碓氷(うすい)郡に属し、北は烏(からす)川を境に群馬郡下室田(しもむろだ)村・同郡神戸(ごうど)村、東は下里見村・上大島(かみおおしま)村、西は上里見村、南は山稜境に下秋間(しもあきま)村(現安中市)。烏川南岸段丘を東西に大戸(おおど)道(信州道)の神山(かみやま)通が貫通する。枝郷に塚崎(つかさき)村がある。字中部(ちゆうぶ)の堀(ほり)ノ内(うち)は当地一帯を本拠とした里見義俊の居館跡と伝える。猪(い)ノ毛(げ)山には長野氏の臣里見河内父子が拠ったという雉郷(きじごう)城跡がある。

寛永一八年(一六四一)の検地帳(荻原文書)があるが、このときは群馬郡に所属。寛文郷帳では碓氷郡に属し、田方四六一石余・畑方四〇三石余。前橋藩領二〇〇石余、旗本柴田領六六三石余。柴田領は塚崎村と考えられる。元禄郷帳では枝郷塚崎村も記され、高八七八石余。明和二年(一七六五)の領知村高書上(松浦文書)では高六七七石余が上里見藩領。江戸後期の御改革組合村高帳では中里見村二〇三石余・塚崎村六八五石余、ともに高崎藩領。宝永八年(一七一一)には田方三五町三反余・畑方四五町六反余・屋敷地四町余(里見村誌)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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