中野弘子(読み)ナカノ ヒロコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「中野弘子」の解説

中野 弘子
ナカノ ヒロコ


職業
女優

生年月日
大正11年 5月26日

出身地
奈良県

経歴
興行師だった父の影響で6歳で初舞台。15歳から座長を務め、剣劇、レビュー、歌舞伎などを演し物に岐阜、愛知などを巡業。昭和28年松竹演芸場に中野弘子蝶々座として出演以来女剣劇専門に。長谷川伸の「瞼の母」「一本刀土俵入」などの股旅物でスターになるが33年一座を解散。35年東京・浅草の常盤座で復帰後、40年まで活躍。のちも舞台を選んで出演している。平成3年常盤座の閉鎖にあたり、さよなら公演を開催。「赤垣源蔵徳利の別れ」「国定忠治・山の湯」などの狂言のほか、美空ひばりから送られた舞台衣装などを披露

没年月日
平成8年 8月3日 (1996年)

伝記
女剣一代―聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝 伊井 一郎 著(発行元 新宿書房 ’03発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中野弘子の言及

【剣劇】より

…第2次世界大戦後は民主思想の発達に伴い一時は急速に影を薄めたが,昭和20年代の後半にはまたかなり行われるようになった。なお,剣劇の全盛期に派生的所産として〈女剣劇〉が生まれたが,弱いとされている女性が主演して,女装あるいは男装して剣をふるって多くの男性を斬り倒すところにやや倒錯的な興味をひき,不二洋子,2代にわたる大江美智子(初代は1939年に病死,2代は1919年生れ),伏見直江,富士嶺子,筑波澄子,浅香光代(1931‐ ),中野弘子らの女剣劇一座を輩出させた。戦後はむしろ,この女剣劇が剣劇の劇団を代表するような形で人気を集めていたが,高度成長期とともに衰え,現在では一つのジャンルとしてはほとんど消滅しているといってよい。…

※「中野弘子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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