小説家、劇作家。明治17年3月15日に横浜市で生まれる。本名伸二郎。4歳のとき実母と別れ、その思慕の情は戯曲『瞼(まぶた)の母』(1930)に結晶している。小学校を中退し、たばこ屋の丁稚(でっち)、土建屋の使い走り、撒水夫(さんすいふ)などを転々、その後『毎朝新聞』を経て『都新聞』に勤め、1917年(大正6)ごろから長谷川芋生、山野芋作などの筆名で雑報や小説を発表、23年の『天正(てんしょう)殺人鬼』で認められ、さらに『夜もすがら検校(けんぎょう)』を書いて短編作家としてスタートした。大衆演芸にも早くから関心を示し『瞼の母』や『一本刀(いっぽんがたな)土俵入』(1931)、『沓掛時次郎(くつかけときじろう)』(1928)など上演、上映された劇作品は167編に上る。作風は庶民性によって裏打ちされた堅実なものが大部分で、股旅(またたび)ものの第一人者となった。のちしだいに史伝ものに傾斜し、『荒木又右衛門(またえもん)』(1936~37)、『上杉太平記』(1939~40)、『江戸幕末志』(1940~41、出版に際し『相楽総三(さがらそうぞう)とその同志』と改む)、『日本捕虜志』(1949~50)、『日本敵(かたき)討ち異相』(1961)などをまとめた。捕虜志、敵討ち研究は彼のライフワークであり、その姿勢に一つの世界観が示される。62年(昭和37)朝日文化賞受賞。昭和38年6月11日没。なお、新鷹会(しんようかい)の中心として大衆文学の新人育成にあたり、村上元三、山手樹一郎(きいちろう)、山岡荘八(そうはち)らを輩出。没後、遺言により蔵書と著作権を基に財団法人新鷹会が設置され、長谷川伸賞も制定された。
[尾崎秀樹]
『『長谷川伸全集』全16巻(1971~72・朝日新聞社)』▽『佐藤忠男著『長谷川伸論』(中公文庫)』
大正・昭和期の小説家,劇作家
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小説家,劇作家。横浜生れ。本名伸二郎,のち伸と改名。父寅之助は土木請負業,母かうとは3歳のとき生別する。この体験が後年の名作《瞼の母》(1930)を生む。やがて家は破産し一家離散。幼くして人生の辛酸を体験した伸は,生来の芝居好きと向上心により,横浜の新聞社勤めを経て《都新聞》記者となる。かたわら山野芋作などの筆名で創作を始める。やがて平家琵琶の名手と地方の青年の恩愛を描いた短編《よもすがら検校》(1924)で認められ,26年退社して作家生活に入る。以後《沓掛時次郎(くつかけときじろう)》(1928),《瞼の母》,《一本刀土俵入》(1931)など股旅物の戯曲や《虹蝙蝠(べにこうもり)》(1930-31),《刺青判官(ほりものはんがん)》(1933)などの時代小説で一時代を画す。とくに股旅物は沢田正二郎らの上演によって好評を博し,大衆文芸に新風をまき起こした。これはまた映画,歌謡曲といった分野まで及んだ。やがて史実を尊重した《荒木又右衛門》(1936-37),史実を発掘した《相楽総三とその同志》(1940-41)などの骨太い歴史小説の分野へと進む。戦後はさらに徹底した史伝体の《日本捕虜志》を発表,捕虜問題を通して日本人の民族性を追究した。市井派といわれた伸の文学は,常に庶民の側に立ち庶民の生活感情を重んじ,義理と恩愛の真情を描くところに特色を持つ。その門下から山岡荘八,山手樹一郎,村上元三,戸川幸夫,池波正太郎,平岩弓枝らが出ている。なお,教育家三谷隆正は異父弟。
執筆者:浅井 清
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…また2代にわたる梅沢昇(初世はのちに竜峰と改名)や,金井修,浅香新八郎,沢村国太郎らは,それぞれに一座を組み,全国の大衆演劇の大半が剣劇といえるほどの時代さえあった。そして〈ちょんまげ〉の任俠の徒の争闘を主題として義理人情をからませた長谷川伸,行友李風(ゆきともりふう),原巌,村上元三,佐々木憲らの作家がこれに好適の脚本を提供し,戦時色の深まるとともに剣劇はますます盛んに行われた。第2次世界大戦後は民主思想の発達に伴い一時は急速に影を薄めたが,昭和20年代の後半にはまたかなり行われるようになった。…
…1929年(昭和4),総帥の沢田正二郎が急死して危機にあった新国劇のために長谷川伸が書き下ろした戯曲で,8月,帝国劇場で初演され好評を博した。主人公の関の弥太郎は,のちに島田正吾の当り役になった。…
…長谷川伸の史伝。1949‐50年に《大衆文芸》に連載,55年私家版として刊行。…
…はじめ一心亭辰雄の名の浪曲師で,たんかのよさで売ったが,のどを痛めて1935年講談に転向。長谷川伸の名をもらい服部伸となった。《一本刀(いつぽんがたな)土俵入》《関の弥太っぺ》などの長谷川伸作品,それ以外では《は組小町》《大石東下り》などを得意にし,めりはりのきいた読み口で,90歳をこすまで高座をつとめていた。…
…長谷川伸による戯曲。1930年村松梢風の主宰する雑誌《騒人》に掲載され,31年,13世守田勘弥を主役に初演されたが,のち実母と再会した著者の意向で,46年まで上演が見あわされていた。…
※「長谷川伸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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