中野篤一郎(読み)ナカノ トクイチロウ

20世紀日本人名事典 「中野篤一郎」の解説

中野 篤一郎
ナカノ トクイチロウ

明治〜昭和期の教育家 兵庫県議。



生年
明治3年6月(1870年)

没年
昭和37(1962)年12月21日

出身地
淡路国(兵庫県)

学歴〔年〕
日本体育会体操学校(現・日本体育大学)卒

経歴
母校の日本体育会体操学校の講師を務めた後、神戸市立第二中学校、淡路高等女学校で教鞭を執る。当時の学校は体育館設備が不完全だったため、通常の教室で体操を課し得るような方法を講じた「机間体操遊戯法」を、明治41年佐藤直治と共著で著した。大正12年兵庫県議を務める。また昭和10年淡路人形復興協会を設立した。他の著書に「中等武術教科書」(共著)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中野篤一郎」の解説

中野篤一郎 なかの-とくいちろう

1870-1962 明治-昭和時代前期の教育者
明治3年6月生まれ。母校日本体育会体操学校(現日本体育大)の講師をつとめたのち,神戸市立第二中学,淡路(あわじ)高女でおしえる。大正12年兵庫県会議員。昭和10年淡路人形復興協会を設立した。昭和37年12月21日死去。92歳。淡路(兵庫県)出身著作に「中等武術教科書」(共著)など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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