中関村
なかぜきむら
[現在地名]阿智村大字春日
阿知川左岸、北は上中関、東は竹佐(現飯田市)、西は駒場に接する。
戦国期末は下条領、天正(一五七三―九二)の頃は林紀伊守領、慶長の初め頃は宮崎氏の支配(信州伊奈郷村記)、同六年幕府領となり上中関村と分離した(長野県町村誌)。村高は正保四年(一六四七)に二六二石余(信濃国絵図高辻)、天保五年(一八三四)三一〇石余(信濃国郷帳)。
中関下ノ平の中原台地は、北に続く的場、その南の向山とともに、縄文から古墳時代にわたる集落跡で、最近、阿智高校校庭では、古墳時代の住居跡が発掘され、多数の土師器・須恵器とその破片、石製模造品が見つかっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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