丸尾晋(読み)マルオ ススム

20世紀日本人名事典 「丸尾晋」の解説

丸尾 晋
マルオ ススム

明治・大正期の医家



生年
明治8年8月12日(1875年)

没年
大正10(1921)年9月8日

出生地
静岡県城東郡池新田村(現・浜岡町)

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治35年〕卒

経歴
復明館眼科医院長丸尾興堂長男に生まれる。明治35年大学卒業後、眼科に入局して河本教授に師事、38年東京女医学校(のちの東京女子医大)初代眼科教授となる。39年帰郷、この時すでに父の跡目は姉の婿・礼作が継いでいたため、静岡出長所を本院とし院長となった。42年ドイツに留学し、44年帰国。再び家業を継ぎ、静岡県内各地に分院出張所を設立した。大正8年静岡県医師会会長に就任。県内スポーツ界にも尽力し、特に静岡中(のちの静岡高)野球部中興の人として知られる。多方面で将来を期待されていたが、10年急性腎炎で急逝した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丸尾晋」の解説

丸尾晋 まるお-すすむ

1875-1921 明治-大正時代の眼科医。
明治8年8月12日生まれ。丸尾興堂(こうどう)の長男。明治38年東京女医学校(現東京女子医大)初代眼科教授となり,39年郷里静岡県にかえり復明館眼科医院長。県内各地に分院,出張所を設立した。静岡県医師会長。大正10年9月8日死去。47歳。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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