丸尾興堂(読み)マルオ コウドウ

20世紀日本人名事典 「丸尾興堂」の解説

丸尾 興堂
マルオ コウドウ

明治期の医師



生年
天保11年5月(1840年)

没年
大正3(1914)年1月18日

出生地
遠江国小笠郡池新田村(静岡県)

経歴
代々眼科医の家に生まれる。17歳で尾張(愛知県)の馬島明眼院で漢方眼科を約10年間学び、のち横浜でJ.C.ヘボンに西洋医術を学んだ。慶応元年(1865年)郷里の遠江(静岡県)池新田で開業。明治15年内科医・早川養順を招き城東病院を開院、自らは眼科を担当。同年横須賀(大須賀町)に分院を置き、年を追って川崎(榛原町)、静岡、清水に眼科出張所を開設した。21年家名・瞭益を娘婿で嗣子の礼作に譲り復明館眼科医院と改称、更に掛川、油山、浜松、沼津、吉原など県下の主な町に復明館眼科分院または出張所を置き、県下で復明館眼科の名を知らぬ者はなかった。興堂は名医誉れ高く、30余年の間に全治した患者約9万人、困窮患者の施療は数千人を超えたという。39年長男・晋の帰郷を機に静岡出張所を本院として晋に任せ、自身も本院で診療や院務に従事した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丸尾興堂」の解説

丸尾興堂 まるお-こうどう

1840-1914 明治時代の眼科医。
天保(てんぽう)11年5月生まれ。尾張(おわり)の馬島明眼院で漢方眼科を,のち横浜でJ.C.ヘボンに西洋医術をまなぶ。慶応元年郷里の遠江(とおとうみ)(静岡県)池新田で開業。明治15年城東(きとう)病院を開院,21年復明館眼科医院とあらためた。大正3年1月18日死去。75歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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