丸山(遊廓)(読み)まるやま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「丸山(遊廓)」の意味・わかりやすい解説

丸山(遊廓)
まるやま

江戸時代から昭和の第二次世界大戦後まで長崎市にあった遊廓(ゆうかく)の名。市内に散在した遊女屋を、現在の長崎市丸山町および寄合(よりあい)町に移住させて集娼(しゅうしょう)区画としたのは、島原の乱後の1642年(寛永19)説が有力である。江戸時代には京・江戸・大坂と並ぶ大規模な遊廓だったが、鎖国下の唯一の開港地として独特の制度をもった。遊女は唐人行(とうじんゆき)、オランダ行があって日本人相手と区別し、オランダ行が出島への出張を認められ、唐人行が唐人客のために市中への外出が自由であるなど、1689年(元禄2)に唐人屋敷内に居住制限されたのちも比較的自由に外出できた。また、名附(なづけ)遊女といって、名義料を払って遊女屋に在籍のまま唐人らの妾(めかけ)となるものがいた。安政(あんせい)開港(1859)後は稲佐の露人館や外国商館へ出張先を拡大した。丸山遊女の衣装は全国一の豪華さを誇ったが、富裕な異国人の財力を背景にしたものであり、正月8日の踏絵に出頭する遊女や禿(かむろ)の盛装は踏絵衣装とよばれ、見物人が出るほどであった。

[原島陽一]


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