出島(読み)でじま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

出島
でじま

茨城県中南部,かすみがうら市南東部の旧村域。地名霞ヶ浦の北西岸で半島のように突き出ていることに由来。 1955年美並村,下大津村,牛渡村,佐賀村,安飾村,志士庫村が合体して出島村が成立。 1997年町制がしかれ,霞ヶ浦町と改称した。

出島
でじま

長崎県南部,長崎市の中心市街地を流れる中島川河口にある地区。寛永 10 (1633) 年の鎖国令により,ポルトガル人の隔離を目的として,河口の沿岸に扇形の埋立地「出島」が造成された。完成は寛永 13 (1636) 年。面積約1万 3000m2で,市街地との連絡は1本の橋のみであった。島原の乱後,ポルトガル人が追放され,平戸のオランダ商館がここに移されて,西欧の文物を取り入れる窓として幕末まで存続した。明治以降は周囲が埋め立てられて,往時の面影をほとんど失い,現在の出島地区には史跡の一部が残されているほか,新聞社,病院,倉庫などが雑居。国の史跡の出島和蘭商館跡や聖公会の教会を復元した出島資料館などがある。その東端の新しい出島岸壁は,外国および県内離島航路の発着場となっている。

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百科事典マイペディアの解説

出島【でじま】

江戸時代1635年に長崎港内に埋め立てた扇形の小島。面積3969坪。当初ポルトガル商人をおいたが,同国船渡航禁止ののち,1641年平戸オランダ商館をここに移し,オランダ人居住地とし,ほかに日本人の諸役人・通詞の家,倉庫などが立ち並んでいた。鎖国中唯一の西欧との貿易地。当時は小橋で長崎と連絡,現在は埋め立てられ市内に編入。
→関連項目カピタン(日本史)川原慶賀鎖国シーボルト高島秋帆通事/通詞ティチングドゥーフ鳴滝塾松浦鎮信丸山モーニケ吉雄耕牛

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大辞林 第三版の解説

でじま【出島】

長崎市の地名。1634年、ポルトガル商人を収容するため建設した扇形の人工島。ポルトガル船来航禁止以後は、オランダ人の居住地。鎖国時代、唯一の貿易地であった。1903年(明治36)、付近が埋め立てられて市街地と地続きになった。

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