日本歴史地名大系 「丸瀬布村」の解説 丸瀬布村まるせつぷむら 北海道:網走支庁丸瀬布町丸瀬布村[現在地名]紋別郡丸瀬布町中町(なかまち)・西町(にしまち)・東町(ひがしまち)・元町(もとまち)・水谷町(みずたにまち)・天神町(てんじんまち)・新町(しんまち)・大平(たいへい)・金山(かなやま)・上丸(かみまる)・上武利(かみむりい)・南丸(みなみまる)・武利(むりい)昭和二一年(一九四六)から同二八年まで存続した自治体。昭和二一年八月紋別郡遠軽(えんがる)町から分離して成立。同年の戸口は一千一六一戸・六千二三一人(「分村調書」新丸瀬布町史)。当村は住民の保健と教育を第一義に、第二次世界大戦後の復興と合せ産業振興を村是として発足。まず新制中学校の新築、小学校の改築、遠軽高校定時制分校(のち丸瀬布高校、昭和四八年廃校)の設置が行われ、村立病院も新築された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by