国が所有する森林の総称。その主要部分は農林水産省林野庁の所管に属し、林業経営、国土保全、森林生態系の維持などを目的として各種の事業が行われている。
2011年(平成23)の時点で林野庁所管国有林面積は約758万ヘクタールであり、国土面積の約2割、森林面積の約3割を占めている。北海道や東北、北関東、南九州等で国有林の比率が高いなど地域性を有するものの、国有林の多くは奥地脊梁(せきりょう)山地や水源地域を中心に分布し、世界自然遺産に登録された屋久島(やくしま)、白神(しらかみ)山地、知床(しれとこ)の原生的な天然生林も国有林である。保安林面積の約5割、国立公園の約6割が国有林である。
また、林野庁所管国有林は、2010年度において、約205万立方メートルの木材を生産するとともに、植林約7000ヘクタール、手入れとして必要な間伐約14万ヘクタールなど、日本最大の林業事業体である。国有林の管理運営は、林野庁国有林野部と地方に配置された7の森林管理局と98の森林管理署が担当している。
なお、林野庁以外の省庁が所管する国有林面積は2011年段階において約6万ヘクタールである。
[飯田 繁・佐藤宣子]
今日の国有林は、幕藩有林と地租改正、土地官民有区分によって国有化された森林・原野を基礎にしている。官民有区分では、地元集落が過去の林野利用が証明できない場合には民有とは認められなかった。また国民の所有権意識が低く、地域によっては住民側が租税回避策をとったため、入会(いりあい)山が大量に国有化された。しかし、国の管理が強化されるにつれ、地元住民の不満や抵抗が増大した。とくに1886年(明治19)にプロシアの林業制度を導入して大小林区署制が敷かれ、国有林の事業的経営が発足すると、全国的規模の官有地下げ戻し運動に発展した。国は、1899年に国有土地森林原野下戻(さげもどし)法を制定し、205万ヘクタールの下げ戻し要求のうち約2割を最終的に認めることによって国有林の地籍を確定した。そして同年国有林野法を制定し、本格的な国有林経営を開始した。第二次世界大戦前の国有林は、本州、四国、九州は農林省、北海道は内務省、樺太(からふと)、朝鮮、台湾は拓務省の林業担当部署が所管した。その経営は、共用林野等を利用する地元住民をなかば義務的に安い賃金で雇用し、展開したところに特徴があった。
第二次世界大戦後の1947年(昭和22)、北海道国有林、御料林(1888年、優良な国有林を皇室財産とすることにより成立。約132万ヘクタール)、都府県所在国有林が統一され、現在の国有林が形成された。
1960年代には、増大する木材需要に対処するため、大面積にわたる伐採や亜高山地帯の開発が進められ、森林の再生を困難にするとともに労働災害(チェーンソーによる振動病)を発生させた。これらは社会的な批判を受け、1973年から国土保全や自然保護などに留意した経営が行われたが、資源が枯渇するとともに貿易の自由化、変動相場制への移行、円高によって木材価格が長期に下落し、1975年以降は恒常的な赤字を計上するようになった。1980~1990年代は、この赤字体質から脱出するために不採算な森林経営からの撤退、組織の統廃合、職員の大幅削減を推進した。そして、1998年に2兆8000億円の累積債務を国鉄債務と抱き合わせで一般会計の負担とし、また、国有林野事業特別会計の仕組みや経営目的を大幅に変更するという抜本的な改革が行われた。具体的には一般会計から資金を繰り入れつつ、人工林の長伐期化や複層林化、広葉樹林化など、公益的機能に重点をおいた森林管理が目ざされた。また、抜本改革後、森林を三つに区分して管理するという施策が開始された。2011年(平成23)の時点で三つの機能区分とその面積は下記のとおりである。
(1)水土保全林 国土保全や水源の涵養(かんよう)を通じて安全で快適な国民生活を確保することを重視する森林、515万ヘクタール(68%)。
(2)森林と人との共生林 貴重な自然環境の保全や国民と森林とのふれあいの場を提供することを重視する森林、216万ヘクタール(28%)。
(3)資源の循環利用林 公益的機能の発揮に配慮しつつ、効率的に木材等の林産物の生産を行う森林、27クタール(4%)。
このように、抜本改革後、国有林管理は木材生産から環境重視、公益的機能の発揮に重点がおかれると同時に、14の営林局は7の森林管理局へ、229の営林署は98の森林管理署へと組織の統廃合がなされ、国有林野事業の職員数は1997年(平成9)の1万5000人から2010年(平成22)時点の6000人まで縮小された。
しかし、2000年代後半になって、国際的な木材需給が逼迫(ひっぱく)するなかで、森林管理局と製材工場や合板工場が価格や量について協定を結び、安定的に木材供給を行うシステム販売方式が導入されるなど、国有林の木材生産の役割が重視されるようになった。とくに、2009年の民主党への政権交代は、森林・林業の再生を新成長戦略の一つに位置づけたため、国有林の管理運営方針を見直すことが必要となった。政府に基本政策を答申する林政審議会は2011年に、国有林部会を設置し、国有林の管理経営のあり方を集中的に論議した。その結果、同年12月、国有林は公益重視の管理運営を推進すると同時に、森林・林業の再生への貢献のために、低コスト林業技術の開発普及、民間事業体の人材育成や事業体の育成、木材の安定供給体制の構築、民有林と一体とした共同施業団地の設定等が求められること、さらに国有林野特別会計を廃止して、事業・組織の一般会計化すべきとの答申が林政審議会から政府に提出された。その後、2012年6月21日に衆議院本会議で「国有林野の有する公益的機能の維持増進を図るための国有林野の管理運営に関する法律等の一部を改正する等の法律」が可決・成立し(2013年4月1日施行)、1947年(昭和22)の林政統一とともに発足した国有林野事業特別会計は同年度限りで廃止することが決定し、新たな国有林時代を迎えることとなった。
[飯田 繁・佐藤宣子]
『秋山智英著『国有林経営史論』(1960・日本林業調査会)』▽『飯田繁著『国有林の過去・現在・未来』(1992・筑波書房)』▽『笠原義人・塩谷弘康・香田徹也著『どうする国有林』(2008・リベルタ出版)』▽『林野庁編『森林・林業白書』各年版(農林統計協会)』▽『『国有林野の管理経営に関する基本計画の実施状況』各年版(林野庁)』
国が所有する森林・原野をいう。日本の全森林面積の約3割に当たる784万haに及ぶが,大部分は農林水産省林野庁が所管する。残余は文部省,大蔵省などが管理する。林野庁管理の国有林は全国にまたがり,7森林管理局,98森林管理署,14森林管理支署に分かれて管理・経営されている(2002)。
国有林の呼称が使われはじめたのは1899年の国有林野法制定以降で,それまでは官林と呼ばれていた。官林の前身は近世幕藩の直轄林と村持入会林野のうち,〈官民有区分事業〉の結果官有となった山林である。近世幕藩の直轄林は,御林(おはやし),御山などと呼ばれ,山奉行などの森林管理機関によって,森林造成,伐採,保護などが行われていた。著名な御林には,津軽藩のヒバ林,秋田藩のスギ林,尾張藩の木曾ヒノキ林がある。明治初期,幕藩の直轄林と社寺の所有していた森林の上地処分が行われ,政府の所有(官林)となった。その後1876年〈官林調査仮条例〉によって,官林の所在,面積,林相などが調査され,はじめて全国一本化した登録台帳が作成された。〈林野官民有区分事業〉はそれまで村持入会地として農民が自由に利用していた山林原野について,村の所有を確認できる証拠のあるものについてだけ民有とし,他を官有とした事業で,この官林と官有森林原野とを合わせたものが後の国有林の母体となった。86年の大・小林区署制度の施行により,管理体制も整えられた。
国有林経営の方針が定まったのは99年であった。この年,国有林野法を制定し,国有林野の境界を確定するなど管理の方向を明確にした山林局(林野庁の前身)は,林野官民有区分事業の後始末をする目的の国有土地森林原野下戻(したもどし)法(いったん官林となった森林原野のうち証拠あるものは民有に返すことを定めた)も定めるなど,経営対象となる国有林を確定し,この経営対象森林に対して,〈施業案〉(資本・労働・土地などの林業生産諸要素を組織づける計画案)の編成をすすめた。99年にたてられた経営方針の骨子は,(1)国有林の経営は永遠保続の利用を目的とし,その方案は確実な施業案によること,(2)国有林は造船用材,橋梁用材などの大樹,巨材の生産を主とすること,であった。この年,さらに〈国有林野特別経営事業〉を開始し,不要な林野を売り払い,造林を推進した。この事業により国有林の人工林面積の割合が急増した。
経営体制は徐々に整備され,1914年〈国有林施業案規程〉は〈国有林の憲法〉として位置づけられた。〈森林を法正な状態に導き,その利用を永遠に保続する〉ことが施業案編成の目的であることも明示された。このように,国有林経営を技術的に基礎づけたのが〈施業案〉技術であるが,この理論は,明治初期,ドイツから輸入されて以降,国有林のみならず日本の全森林の経営理論として適用された。植栽と伐採のバランスを厳格に維持し,永久に生産を続ける〈保続〉思想を基礎においた理論で,その保続生産を実現するため〈法正林〉の造成が重要であるとした。法正林とは,一定面積の森林内で,0年生(伐採跡地)から,1,2,3,……,n年生(伐採に適した年齢)のすべての階齢の樹木を同量ずつ保有するよう仕立てられた森林をいい,毎年生長量だけ伐採し,その跡地に植林することにより,木材生産は永久に続くと想定したモデル森林である。施業案思想,法正林思想は,その後の国有林の方針の根底を形づくった。
国有林は,第2次大戦中や戦後の経済復興期,あるいは高度成長期に大量の木材を供給してきた。また近年は森林の社会資本としての性格が強まり,〈国有〉の意義も高まっている。環境を保全し,国土を荒廃から守り,あるいはまた森林資源を計画的に造成し,利用するためには,国有であることは有利である。長年にわたり地域の製材工業や地元雇用との結合関係の深い所も多い。
国有林野事業は,材価の低迷,伐採量の減少,コストの上昇などにより,近年,経営状況が悪化している。国有林野事業特別会計は,70年度に収支ほぼ均衡であったものが,76年度には400億円の借入れ(財政投融資資金より)が行われ,以降その額は年々急増している。78年7月に施行された〈国有林野事業改善特別措置法〉は,こうした国有林経営の危機を救うことを目的としたもので,(1)今後20年間で経営の健全性を確立すること(営林局署の統廃合,人員の大幅削減などによる),(2)林道,造林などに対する投資のうち経営改善に必要な資金を一般会計から繰り入れることをおもな内容としている(1978年度以降数次にわたる改善計画を策定し経営改善に努めてきたが,長期にわたる木材価格の低迷,自然保護の要請に対応した伐採量の減少等により借入金が累増し,95年度末の国有林野事業の債務残高は3兆3308億円に達した)。現在,国有林野の抜本的改革が進められている。その方針は,(1)公益的機能の維持増進を旨とした管理経営への転換,(2)組織・要員の徹底した合理化,(3)会計制度の見直し,(4)累積債務の処理,とされている。
→森林 →林業
執筆者:筒井 迪夫
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…また幕府に常備された御林台帳は普通に御林帳といい,諸国御林帳,御林個所付帳とも唱えたが,帳面には御林の所在(郷村名),面積をはじめ,樹種・幹周り別の木数,林相・地利,伐木・植樹年次,江戸または市場・港津までの輸送距離までが明細に調記され,所管代官の交替や知行割渡しの際には,御林帳抜差,御普請木伐渡,枯木・根返り,払減木などの添帳によって加除訂正を加え,御林の現況を明らかにして授受されるものであった。この御林帳には別冊の御林絵図が付属し,類似の御林帳や絵図は私藩でも作成されたが,帳簿の名称や記載内容には繁簡異同の差があったのに対し,廃藩置県後の1872年(明治5),新政府が各府県に録上させた統一的な御林帳は,幕府のそれに準じて管内の官林(旧御林)の現況を報告させたもので,これによって現国有林の原形が形成された。【所 三男】。…
…また1889‐90年に皇室財産の中核として形成された御料林は,本州中央部の優良官林とその他の官有山林原野から編入したものである。1909年の林野構成の大要は御料林155万ha,国有林万ha,民有林万haであった。 国有林野の設定とその経営は,農民の採草,落葉採取,放牧,採薪などの入会利用と対抗関係にあった。…
…国有林以外の森林をいう。日本の森林面積約2500万haのうち約1730万haを占めている。…
※「国有林」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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