日本歴史地名大系 「久下分村」の解説 久下分村くげぶんむら 埼玉県:飯能市久下分村[現在地名]飯能市久下(くげ)・稲荷町(いなりちよう)・南町(みなみまち)・仲町(なかまち)・柳町(やなぎちよう)入間(いるま)川の右岸、飯能村の南に位置する。天正三年(一五七五)一一月一九日の北条氏照印判状写(武州文書)に「右、久下分之内、従長尾根山至り深沢山、堅被立林候」とあり、当地内の長尾根(ながおね)山から深沢(ふかざわ)山に至る山林を御用林とし、保護することを島村図書助らに命じている。田園簿によればすべて畑方で高一五七石余、幕府領。寛文八年(一六六八)検地があり(風土記稿)、元禄郷帳では二一八石余。国立史料館本元禄郷帳でも幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by