埼玉県南部、秩父(ちちぶ)山地の東麓(とうろく)にある市。1954年(昭和29)市制施行。1956年原市場(はらいちば)、東吾野(ひがしあがの)、吾野の3村を編入。2005年(平成17)名栗村(なぐりむら)を編入。JR八高(はちこう)線、西武鉄道池袋線・秩父線、国道299号が通じる。ほとんどが山地と丘陵地であるが、東部が関東平野西端にあたる。入間(いるま)川の上流名栗川の渓口集落で、江戸時代には6、10の日に市(いち)が立った。また、名栗川沿いの地域は江戸時代「武蔵木曽(むさしきそ)」といわれた西川材の生産地で、スギ、ヒノキの産が多く、それらの集散地で、筏(いかだ)の中継地でもあった。現在も木材の集散地で、製材所が多く、材木市が立つ。1997年(平成9)には林業センターも建設された。
市域全域が県立奥武蔵自然公園に属しており、観光地が多く、伊豆ヶ岳(いずがたけ)、正丸峠(しょうまるとうげ)、天覧山(てんらんざん)、多峰主(とうのす)山などのほか、宮沢湖、名栗渓谷、名栗温泉などがある。また、高山不動、竹寺、天竜寺(子(ね)の権現(ごんげん))、鳥居観音などの寺院がある。国指定重要文化財として、福徳寺阿弥陀(ふくとくじあみだ)堂、長光寺の雲版(うんばん)(正和2年銘)、高山不動常楽院の木造軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)立像がある。都心に近く、交通の便のよいことから、東部はベッドタウンとして発達している。面積193.05平方キロメートル、人口8万0361(2020)。
[中山正民]
『『飯能市史 資料編』12巻『飯能市史 年表』『飯能市史 通史編』(1976~1988・飯能市)』
埼玉県南部の市,2005年1月旧飯能市が西に接する名栗(なぐり)村を編入して成立した。人口8万3549(2010)。
飯能市西部の旧村。旧入間(いるま)郡所属。人口2676(2000)。秩父山地を東流して入間川に注ぐ名栗川の上流域を占める。旧飯能市の西に接し,南は東京都青梅(おうめ)市である。杉,ヒノキの生産は江戸時代から盛んで,西川材の名で知られる。現在でも人工造林率が高い。クリを多く産し,茶もつくられている。1980年代まで人口減少が続き,過疎地域の指定も受けたが,80年代半ば以降,増加に転じている。西武秩父線が通り,村域は奥武蔵県立自然公園に属し,正丸峠,伊豆半島まで展望できる伊豆ヶ岳(851m)や名栗渓谷,名栗鉱泉(放射能泉,15℃),鳥居観音などがあって東京郊外の行楽地となっている。
執筆者:千葉 立也
飯能市中東部の旧市で,外秩父山地東麓の市。1954年市制。人口8万3210(2000)。入間川の谷口集落として発達した飯能は,江戸時代には〈縄市〉とよばれた六斎市が立ち,良質の杉,ヒノキ材の西川材の集散地として栄えた。伝統的な木製品工業や飯能絹の名で知られた繊維工業に代わって,いまは電気機器工業が中心となっている。東京の都心から50km圏に位置し,西武池袋線,JR八高線,国道299号線が通じているので,近年宅地造成も増え,1989年には住都公団の美杉台団地が造成された。1987年には駿河台大学も進出した。奥武蔵県立自然公園の中心で,名栗渓谷,宮沢湖,天覧山から鎌北湖に至る奥武蔵自然歩道があり,東京から行楽に訪れる日帰り客でにぎわう。
執筆者:新井 寿郎
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